2012/12/15

即興小説

 私に友達は少なかった。幾度かの交流はあれども、それを馴れ馴れしく友達と呼ぶのははばかられたし、客観的に見ても友達と言えるような関係では無かったと思う。ヤマアラシのジレンマだなんて中途半端な知識人はしたり顔で言うけれど、私には針が刺さる痛みというのが簡単に想像できたし、だからこそ友達と呼べる間柄になるほどの関係を締結しようとはしなかった。
 けれどこれはなかなかの苦痛を伴うもので、安易に孤立して生きるのは強がりを言って見栄を張って、それを崇拝すべき最高のものとして信仰せざるを得なかった。栄光ある孤立というやつである。もちろんそんなハリボテに十分な持続性があるわけもなく、私はあっさりと強烈な苦痛を伴う孤独に陥ってしまったのだった。
 そこで私は犬を飼うことにした。まるで子が離れていった老人である。だがそれは私にとって必要なことだったし、それに没頭することにした。
 まずは名前をつけることにした。しかし私は彼女には本当の名前が、天から授かった真名があるのではないかという考えに囚われた。名前を付けずに、名前ではなく彼女自身として接していこうかと思ったくらいだった。主があれども名前が無いという奇妙な状態もそれはそれで面白いのでは無いのだろうか。……いや、安易に奇妙な行為を面白がって実現させるのは良くない。品格の問題だ。名前のないのは不便だし、名前を授ける行為は私と彼女との関係をスタートさせる良い儀式になるだろうと思い、名前を付けることにした。

 私と彼女との関係は極めて健全であった。彼女は純粋無垢に私にじゃれつき、私は大きな喜びを持って戯れに没頭する。実に純粋な関係だった。彼女と私の間には何一つ不純で功利的なものは存在しないように思えた。動物には私たちを純化させる機能がある。これは子どもにも当てはまる。しかし子どもはやがて成長し、当時の私たちと同じ年齢まで育ってしまうのだ。
 次第に私は学校へ行かなくなった。欺瞞と猫かぶりと偽りと裏切りと虚栄が交錯する教室に行くのが恐ろしくなったからだ。ある時はクラスメイトたちが会話しているのを見ただけで吐き気を催したし、前の席からプリントを渡されるだけでも、それを受け取り次に回すまでのあらゆる挙動を隈なく値踏みされているような気がした。私にはその基準を満たせるほどの(極めて子どもじみた空間における)社会的なエチケットを十分に身に着けていなかったし、それを学ぼうとする意思すらも既に放棄してしまっていたのだった。
 順調に社会的な生活から身を切り離すことができた。それを許容してくれる不登校の存在がありがたかった。私は彼女と戯れ、散歩することだけが唯一の生きがいになっていた。それは社会性の喪失でぽっかりと空いてしまった隙間を埋めてくれるものだった。

 それから月日が流れ、彼女は病で死んでしまった。
 私が散々泣いて塞ぎ込んでしまったのは言うまでもないだろう。
 彼女が死んでも時間は流れるもので、私が子どもと呼ばれる時期から大人と呼ばれるようになる時期のちょうと中間あたりになった頃には、私は再び学校へ行くようになっていた。
 それにはもちろん親やクラスメイトや教師の(それが本心だったかは分からないが)手厚い支えがあった。幸いにも勉強のレベルにはなんとか追いつけたし、いつの間にか分からない内に、本当にどういう過程を経たのかまったく覚えていなかったのだが、友達と呼べる関係を取り結ぶ相手もできた。順調になったのだ。
 彼女の墓は私の家の庭にあった。大学受験を終え、入学までの春休み期間に、私は彼女の墓を潰すことにした。
 彼女は私の逃避場所だったが、それはあくまで動物が相手だったからなのだ。自我を持たない相手と接するのは心が休まる。気楽なのだ。儀式と称して名前を与える行為だって、私の一方的な押し付けを祝福と呼んだだけなのだ。一方的な関係に価値はなく、私は彼女の遺体を掘り起こしてゴミ袋に入れてゴミ置き場に放り投げ、再び墓穴を埋めると、とても気分が晴れ、3月のひんやりとした空気が私の肺をクリアに満たし、ある種の全能的な爽快感を覚えたのだった。