2015/04/12

エモい名文

名文を集めるというのやったことなくて、まあメモ帳でやれよという話なんだけど、せっかくだしシェアする。泣けるとか格好良いとか人生訓になるとかではなく、単にエモい文章を蒐集する。適宜追加していきたい。

小説・戯曲等


「君は何をいうのだ? 血だって……? 海……? 血は暖かい。海も暖かかった。ぼくもそう聞いたことがある。だとすると、もし海へ帰って行くならば、癒されるとでもいうのか?」(ゴットフリート・ベン 作品名は失念した。著作集第3巻に収録されている戯曲なのは覚えてる)

「しかし、僕の気持ちをいえば、ぼくたちは水母のままでいたらよかったのです。ぼくは発展の歴史なんてのには一切価値を認めません。脳髄は迷いの路です。中流階級に対する恫喝です。直立して歩こうと、立って泳ごうと、そんなのは単なる慣習の問題にすぎません。脳髄のおかげで、ぼくのすべてのものとの関連が打ち砕かれてしまいました。宇宙がざわめき過ぎて行くのです。ぼくは岸辺に立っている木です。灰色に、直立して、そして死んでいます。ぼくの枝はまだ流れる水の上に垂れ下がっている。しかし、それはただ内面を見つめているだけです。内に流れる血が、黄昏れて行くのを、四肢が冷たくなって行くのを、ただじっと眺めているだけなのです。ぼくはもう動かない」(同上)

「おお、ぼくは再びなりたい、花の咲き乱れた平原、砂、広い草原に。生暖かい波、冷たい波に乗せて、地球はすべてを運んでくる。額で考えるのはもうたくさんだ。草木の生を生きるのだ」(同上)

彼は外をみやって、太陽がすでに沈み、庭の上にほんのわずかの残照が残っていることをみてとった。もうそう長いことはあるまい、もう外の庭には陽の光はないだろう。けっして、けっして陽の照ることはあるまい。ひとすじの陽の光だって、もうぼくは見ることはあるまい。最後の夜が始まるのだ、最後の日は暮れていったのだ。ほかのすべての日と同じように有意義にすごすこともなく漫然と。形ばかりの祈りをささげ、ブドウ酒を飲み、そして今は女郎屋でねばっているのだ。彼はすっかり暗くなるまで待っていた。どのくらい時がたったのか彼にはわからなかった。この女のことも忘れていた。ブドウ酒のこともこの家のことも、すっかり忘れていた。彼はただどこか森のあたりをながめていたのだった。森の木の梢には最後のひとすじ、ふたすじの残照が残っていた。ほんのひとすじ、ふたすじの残照が。えがいたような赤味をおびた光のすじが、たとえようもなく美しく梢に残っていたのだった。光のちっぽけな輪、彼がみるであろう最後の光だった。もうない……。いや、まだちょっぴりとある。いちばん遠いところに生えたいちばん高い木のうえに、ほんのわずかばかり。金色の光をいつかは捉えることもできよう。あの金色の光だってまだ半秒ぐらいはつづくことだろう……なにもかもなくなるまでには。まだ残っている、と彼は息をとめながら考えた……まだあの木の梢にちょっぴり残っている……おかしいくらいなかすかな残照が。それなのに、これを注視している世界じゅうでただひとりの人間はぼくなのだ。まだある……まだある、まるでゆっくり消えていく微笑のようではないか……まだある、もう終わりだ! 光はなくなった、あかりは消えたのだ。もう見ることはないだろう……。(ハインリヒ・ベル『汽車は遅れなかった』)

無だ……たいしたことはない……(ハインリヒ・ベル『汽車は遅れなかった』)

彼はネットリンガーをじっと見つめながら待った、二十年以上もの昔から願ってやむことのなかったものの到来を、依然としてむなしく待った。憎悪を。はっきりとした憎悪というものが自分にあってくれればよいと、いつも願ってやまなかったのだ。だれかの顔をなぐりつけたり、尻を蹴り上げて、そしてどなるのだ、《こん畜生、この豚野郎》と言って。そういう単純な感情を持てる人たちのことを、彼はいつも羨ましいと思っていた。(ハインリヒ・ベル『九時半の玉突き』)

「ちくしょう」と、彼は考えた。「まったく馬鹿だったよ、おれは。いつも馬鹿だ。つねに正直で、几帳面で、な。ところがほかのやつはいつも愉快にやってたんだ。いまいましい」(ハインリヒ・ベル『アダムよ、おまえはどこにいた』)

九時五分頃パトロールがカフェーに入って来た。将校が一人と、兵隊――上級上等兵が一人だった。最初、彼らはちらっとカフェーの中を一瞥しただけで、また出ようとした――ファインハルスはドアを注視しはじめた折だったので、はっきりと彼らを見た。ドアを見つめるということには、何かすばらしいものがあった。ドアが希望だった。ところが彼の眼に入ったのは兵隊を従えた、その鉄兜の将校だけだった。二人は中を覗いただけでまた出ようとしたが、そのうち将校が突然彼を見つけて、ゆっくり彼の方へ歩いて来た。彼は、おしまいだ、と悟った。この連中は唯一の効果的な手段をもっていた。彼らは死を運営していた。死は彼らの命令に服従した。そして死ぬということは、この世で何一つできなくなることだった。ところで、彼にはまだこの世でしなければならないことがあった。彼はイローナを待とうと思っていた。彼女を捜しだして、愛そうと思っていた――無意味なことだとはわかっていたが、成功するかもしれぬという一縷の望みがあったので、待とうと思っていた。これらの鉄兜の男たちは、死を手中に収めていた。彼らの小さなピストルの中には、彼らの厳粛な顔の中には、死が腰をかけていた。そして彼ら自身死を煩わそうとしないでも、彼らの背後には、いつなんどきでも絞首台と自動拳銃の機会を死にあたえようとして、待ち構えている男たちが無数に立っていた――彼らは死を運営していた。(同上)

「父さんにとって、生きることは……生きていくことだけで十分だったんだ。しかし、ぼくたちはそうはいかない……死んだあとのことや、公教要理の神秘的な教えのことや、それに、目に見えない世界を信じたりすることも必要なんだ。だって、そうでもしなきゃ人生はあまりに悲しすぎると思うよ……だけど父さんはと言えば、まったくそういう必要性がないくらい強靭な人なんだ」(著者失念、『現代スペイン演劇選集』所収)

私の家は便利だ、ありがとう。(ル・コルビュジエ『建築をめざして』)

彼らは同じ足取りで行進する、彼らの拍車がかちゃかちゃ鳴り、サーベルががちゃがちゃ音を立てる。街の明かりが黄色く、懐かしく、彼らにウィンクしている。二人は道がどこまでも尽きることがないようにと願っている。こうして肩を並べて、いつまでもいつまでも行進していたい、と。二人のどちらもが何かひとこと言わなければならないのに、二人は押し黙ったままだ。たったひとこと、ひとこと言うのはたやすい。しかし言わないでいる。これが最後だと少尉は考える。こうしてぼくたちが肩を並べて歩くのもこれが最後だ!(ヨーゼフ・ロート『ラデツキー行進曲』)


おまへの妹のお祈りを、童心に描く天国を、
 喜びにみちた考へを、そつとその儘にしておくがよい。
 それと話の説法で、
朗らかな月日をおくるその生涯を、かき乱してはいけないのだ。
(アルフレッド・テニスン『イン・メモリアム』)

二人の名前を 書きたまへ、
 その文字は 喜悦の朝の無音の象徴、
 その文字は 行く末々の村人達に讃まれよう。
聞きたまへ 頭上にひびく鐘の音を。
(同上)

映画


俺は毎年 夏になるとずっと 9月の目標を立てた 今は違う 今は昔の目標を思い出して過ごしている 怠けたり忘れたりして 消え失せちまった目標を 郷愁の何が悪いと言うんだ? 未来が信じられない者の 唯一の気晴らしさ 雨は降らず 8月も終わり 9月は始まらない 俺はありきたりだが 気に病むこともない これでいいんだ(パオロ・ソレンティーノ『グレート・ビューティー/追憶のローマ』)

幕切れは決まって 死である だが それまで生があった あれやこれやに隠されて すべては駄弁と雑音の下に埋没する 静けさと情緒 感動と恐れ 美しさのわずかで不規則なほとばしり それから理不尽なおぞましさと哀れな人間 すべては生きるという困惑のもとに埋葬される かくかくしかじか 彼岸が存在するが 私は彼岸には関わらない こうしてこの小説ははじまる とどのつまり ただのトリックだ そう ただのトリックなのだ(同上)

若い頃 私の友達は口を揃えて こんな風に答えたものである ”頭の軽い女” 一方 私の答えはというと ”年寄りの家の匂い”だった この時の質問は ”人生で一番好きなものは何か?”だった 私は感受性を授けられていて 後に作家になる運命で ジェップ・ガンバルデッラになる定めだったのだ(同上)

その他


「お前は投石機から放たれた石だ。飛び立つ瞬間にはこの上ないスリルを味わえる。しかし、あとは落ちるだけだ。重力がお前の息の根を止めるまで」(Bioshock: Infinite)

所感


なんというかハインリヒ・ベルが圧倒的にエモ過ぎてこれに肩を並べられる作品が思いつかない。
あと、図書館で借りた書籍だと細かい作品名が分からなかったりして不格好だが、これを整えるためだけに図書館に行くのもダルい。
読んだ人が文章を選択していいね!を押せる機能とか欲しい。はてブロでやればいいのかもしれない。