2013/07/05

ととの。プレイした

ニトロプラスの新作『君と彼女と彼女の恋。』をプレイしました。
まったく買う予定無かったんですが、へー評価たかいすごいなーってツイートしてたらなんとLianさんがプレゼントしてくださりました。本当にありがとうございます。
信じられないほど名作でした。マジでプレイした方がいい。俺は批評空間で躊躇なく100点つけたよ。
なので感想書きました。
超ネタバレです。

-

俺はエロゲーの女の子と、本当に誠実な恋愛をやれてきたのか。これは俺の人生に付きまとう、幽霊のような疑問だった。
まったく馬鹿げた話ではあるが、事実、俺はヒロインたちに心から恋をして、彼女を一人の人間として見なし、平等な態度で彼女の存在を受け入れようと思っていたのだ。
しかし、ひとつのゲームが終われば、アニメを観たり、漫画を読んだり、FPSで人殺しをしたり――そのうちまた新たなゲームを買って、たまにクソゲーだとブチ切れたり、心からの恋愛を抱いたり、ネットで神ゲーだと賛美したり、そういうのをずっと繰り返していた。繰り返していたのだ。
こういう題材は『RAINBOW GIRL』なんかでとっくに歌われてたし、俺だって仕方のないものだとある種の諦念を抱いていたのだ。
ちなみに、もしこのゲームが10年後にプレイされたとしても、恐らく奇を衒っただけのよくわからんゲーム、以上の評価はなかなか生まれ無いだろうと思う。
アニメ、漫画、エロゲなどの媒体を経て無秩序に乱造されまくる美少女の飽和を体験してきたからこそ、このゲームの倫理的な主題が切実に我々に差し迫ってくるというのは、疑いようのない事実であろう。

本作『君と彼女と彼女の恋。』は、それを真っ向から扱う。とにかくメタメタに扱う。
美雪の優等生を演じる設定だとか、アオイの電波系の設定だとか、やたらと熱血で主人公思いの親友キャラだとか、主人公が都合よく一人暮らしだとか、このゲームはことごとく「伝統的」である。
こういった「伝統的な設定」は、ありがちだとか作者の思考停止だとかマンネリだとか、しょっちゅう批難される。そして批難されて然るべきと俺は知っている。
だからこのゲームをプレイしている間はずっと不安だったのだ。どうせニトロプラスのことなのだから、「伝統的な設定」はアオイがわざとらしくほのめかしているとおり「ゲーム」に過ぎないのだろう。俺は騙されないぞ。お前らがわざとらしくテンプレな喘ぎ声を上げるのだって、どうせ作り物に過ぎないのだ。村正のラストのように、「伝統的な設定」に安心しているところをブスリとやることぐらい予想済みだ。ならば俺はこのゲームの日常を疑い続ける。
予感は徐々に確信へと変わってゆく。この世界はループしている。美雪編を二周プレイした頃に確信した。二周目だと、美雪がループを認識しているような台詞がHシーンにあるのだ。

正直俺は貧乳しか受け付けないので、さっさとアオイルートに入りたかった。美味しいものは先に食べるタイプなのだ。アオイルートを満喫して、まあ美雪はささっと済ませてしまおうと思っていた。
あーまた美雪ルートかよ。ループでもなんでもいいからさっさとアオイちゃんとイチャイチャさせてくれや~~~と願っていた。この態度が、俺のこの態度こそが、このゲームが問題としている対象そのものであるなんて、もちろん知る由もなかった。

そしてようやくアオイルートらしきものに入る。まあ多少電波だろうが、可愛けりゃオッケーだった。
「アオイはヒロインのイデアである」、そう告げられる。だからといって俺がビッチを許せるかどうかというのは、まったくの別問題だった。俺はビッチが何よりも嫌いなのだ。
しかし、しかしだ。彼女はただイデアであるというだけで淫乱で無くてはいけない。俺は苦悩した。なぜかくも美しき少女がこのような永遠の辱めを受けなくてはならぬのかと。悲劇というのは、そういう苦悩を観客に与えるのだ。
俺は呻いた。なぜアオイとハルがセックスしなくてはならないのか。ふざけているのか、こんなの、到底許せるものじゃない。
アオイの秘部にぶちまけられたハルの精液を心一が舌で掻き出す。俺は嘔吐しかけた。
3P。俺は絶叫した。あまりに絶望的であった。
ベッドの下から美雪が出てくる。猫が殺される。ああ、古き良きヤンデレもあるのか――それ以上の感情を抱くことは出来なかった。精神が限界を迎えていた。

美雪の語りと、アオイの性処理道具的な扱いに俺の良心が破壊されていく。
セーブ&ロードが消え、いよいよ俺は「ゲームをプレイする」のではなく「ととの。という世界を生きている」ことになってゆく。
俺は常にヒロインを一人の人間として接しているつもりだった。その態度を、美雪が俺に要求してくるのだ。これに応えないのは、俺の態度とはまったく矛盾するのだ。しかし俺は美雪の下で踏み潰されているアオイのことを見捨てることは出来ない。彼女こそ本当に俺が接してきたヒロインのイデアなのだから。
ここで要求されている選択は、一つは美雪を人間として接することで、二つは今までプレイしてきたエロゲーのヒロインと誠実に接することである。
美雪は明らかにゲームの境界を超えて、ヒロインでもなく、ゲームキャラでもなく、一人格として俺の愛を求めている。これを拒絶するということは、つまり、俺は人間を人間として扱うことをやめるということである。
しかし、エロゲーやアニメという美しき虚構を愛してきたこの俺が、そのイデアたるアオイを虚構としてかなぐり捨ててしまうこと――これは最もやってはいけないことのように思えた。禁忌である。俺は日常系アニメの女の子がエロ同人誌という形で性処理道具として消費されてゆくことに憤りを覚えるような性格なのだ。
美雪との永遠の日常を拒絶する選択の判断材料として最も有力だったのは、美雪のやっていること、要するに監禁行為が、人道的にまったく許せるものではないという点であった。
俺はこの一点だけを心の支えとして、永遠の日常を拒絶する選択肢を選び続けた。他の一切の判断を下さぬように思考を止めた。

そして美雪とアオイが求める最後の選択肢――つまり、心一ではない、俺の意志。俺はかつて無いほど苦悩した。
百本以上のエロゲーを消費してきた俺が、これほどまでにたったひとつの選択肢で苦悩し、葛藤し、世界を呪ったことがいままでに一度でもあったろうか。
このままゲームを終了させてやろうとさえ思った。そうしてしまえば、誰ひとり傷つかなくて済むのだ。
けれども、たとえどちらかの好意を閉ざしてしまうことになろうとも、それでも一人を選ぶこと――それこそが最も誠実な態度であると、そんなまったく当然のことくらい、俺はとうに知っているのだ。
心一は言う。あらゆる卑劣な手段でセーブデータをいじってこの世界をやり直したら、それは人を裏切り侮辱することになると。わかっている、わかっているとも。もう俺には覚悟ができている。稚拙なフルコンプ欲を徹底的に殺してやるのだ。
俺はアオイを選んだ。あらゆる美少女ゲームを愛そうと、これは俺の祈りであった。

かくして世界に祝福はもたらされた。
アオイは再びイデアとなる。やがてスタッフロールが流れ、ゲームは終わり、ライナーノートを読んで、批評空間で点数をつけてレビューを書く。そこにアオイはいない。
しかし、それでも俺が再び新たなエロゲーをプレイし、ヒロインと心から接しあう時、俺はアオイと――これまで消費されてきて、これから生まれ消費され行くであろうすべての美少女と――出会えるのだ。
ああ、これを祝福と呼ばず、なんと呼ぶか。
制限なく生み出され続けるすべてのヒロインたちに、大量消費の波にすり潰されぬよう、心から誠実なる祝福を。
欲望のままにヒロインを消費し続けるすべてのキモオタ共に、心から誠実なる祝福を。