2014/05/04

書き止し

 私が高校二年生になってから、クラスに馴染めない事への劣等感がいよいよ私を苛み、ようやく諦めがついた頃、私はふと彼女の立ち位置の特異なことに気が付きました。彼女は上流階級と下流階級のどちらとも異なる位置に属している人間でした。いわゆる孤高です。私の場合は孤高ではなく、単なる孤立でした。迎合を望みながらも叶わずに独りきりになるという、敗残者に過ぎません。けれど彼女は鼻から人々に迎合する気配すら見せず、自ら望んで孤独を選んだ人でした。それでいて、孤独であることになんら劣等感を覚えない、私には彼女が誇りを持って孤独を選んだように見えました。孤高とは美の一つの形です。彼女は強く美しい人間に見えました。私は彼女に憧憬を抱き、己の境遇を分かち合いたいと思いました。けれど、孤高である彼女に単なる孤立した私が近寄るということは、その宝石のような輝きに泥を塗ることであり、私が最も至高を覚えていた孤高を毀損してしまうことで、私のような人間には到底そのようなことは出来ないのでした。彼女と私が話をしたことは一度もありませんでした。それゆえに孤高でした。お昼休みに彼女が独りでお弁当を食べているのを見かける度に、お誘いの言葉を口にしようと何度苦悩したことでしょう。しかし美を美しいままに安置しておくことの重要性を私は理解していましたし、迂闊な所有欲のなんと醜いことかも十分に理解していましたから、彼女はその孤高の美を保ち続けていました。ああ、彼女こそ美にして永遠であると、私は恍惚を覚え、身を震わせました。例えば、桜があります。桜は咲き誇る時間も、散りゆく時間も、葉桜へと変容する時間も、それぞれに美しいという情緒を持っています。けれど彼女は、変容することのない、後付のような美意識を必要としない、完成にして永遠だったのです。
 私は教室であんパンを食べながら彼女がお弁当を黙々と食べている姿を眺めていました。彼女のお弁当は一体誰が作っているのだろうと考えました。きっと彼女のことですから自分で作っているに違いないと思いましたが、むしろ彼女はそのような生活的なことに時間を割かず、きっと他の仕事に邁進しているのではないか、とも思いました。実際に彼女に問いたださねば事実を掴むことのできない想像であって、それが禁じられている以上、私は空想を巡らす以上のことはできないのでした。彼女は食べ終えた弁当をかばんの中に仕舞うと、黒色のポーチを持って目立たないように教室を出て行きました。気になって彼女の後ろを追ってみると、彼女は五階の外階段に座り込んで内ポケットから煙草を取り出して吸い始めました。私は彼女がそんな迂闊な反社会的な行為をするとは思ってもおらず、すっかり驚いてしまいましたが、同時にある種の強い憧憬を抱きました。やはり彼女は社会や世俗的な価値観に自由を委ねてしまわない、強い意思を持った人間なのだと確信しました。私は追尾に自信があったと思い込んでいたようですが、彼女は私のことを認知していたようで、私に呼びかけました。
「先生にチクったりはしないよね?」
 もちろん、そんなつもりは少しもありませんでした。けれど、私は悪いことを悪いと分かっていながらしているような気持ちになって、ずいぶん緊張したみっともない返事をしてしました。
「い、いえ! そんなつもりはちっとも…」
「なら、いいんだけど」
 その後は彼女が煙を吐き出す音だけがその場を支配しました。私は足や口に根が生えてしまったかのようにまったく動けず、じっと彼女の喫煙を眺めているだけでした。彼女は一本吸い終わると立ち上がり、私のことなど気にしないかのように通り過ぎて校舎に戻り、丁寧に手を洗いうがいをして教室に戻りました。私はその姿にすっかりと見とれてしまっていました。