2013/04/20
短歌とか俳句
人並みに短歌や俳句など詠むこともあるので気に入ったのまとめる
適宜追加する
短歌
愛のある南の国の死体にも抗う北の星条旗の金
広大なプラスチックを踊る手の形而上的強い馬たち
みなさんが期待するので仕方なくヒップホップの王になります
煙から届く抽象の追悼は詩人の音の亡骸に臥す
草稿を書き込み尽くす執着のプレス技術の絶対遮断
塗装路を歩く幻視の上昇と、善良市民の無垢な挨拶が、、、
散った馬、馬具を叩かれ消える馬、雄々しく駆ける馬の空間
実際のところやっぱり古式だよ 新しいのは格好良いよね
サア行こう、善き人倫の満ち満ちた戸塚宏の夢見た世界へ
善良な泥の煙の国民の揺れるうねりの湿度の夢よ
人類のうようよしてるいろいろとなにもわからぬわがままな死よ
温かい座敷童子の愛は絶え人の天使は声色を見る
うきうきの春の機関の躁うつの、フリルリボンで貴様を殺す
考えろ、よく考えろ、その脳で 芋から人は生まれ得るのか
やわらかさ、鉄の駆け寄る午後の死がナメた貴様の主体を壊す
帝都では輝かしいね、だけどまあ代替手段はそれなりにある
貴様らは堕落に価値を規定する、文化レベルはされど落ちぶれず
春がきた、部屋が淀む、働くぞ、働きたいよ、働きたいよ、
俳句
「見て、自殺」「また起こったね」「うんざりね」
脈々と脈々々とアイエエエ!!!
あわわわわ 鉄の駆け寄る 終わりかな
安穏のゆらゆらしてるねりねりよ
「うるさいよ」「もううんざりだ!!」「隠居しよ?」
ねりねりの音する壁を嘗めるねり
生活よ、時間は強い つよいんだ
肩たたき ああ肩たたき 肩たたき
歯を磨け 座布団を敷け ゆっくりと
2013/04/13
文フリ
大阪文フリ、サークル参加はしないけど二本寄稿してるんでいちおう登場します
だから宣伝します(載せんなボケみたいな問題があったら即消します)
買ってください
大阪文フリでおひろめされる、稀風社さんの『稀風社の粉』に寄稿した『外の地平』の一部分です
http://kifusha.hatenablog.com/
「私、感化院に送られてからさ、すぐに脱走して、この町で生きてきたんだよね。お金はなんだかんだでお父さんが送ってくれてたし、何もしなくても生きていけた。だからさ、何もしなかった。魔法使いとしての生き方しか知らなかったし、別の生き方とか、きっと感化院にいたら教えてもらえたのかもしれないけど、抜け出しちゃったし」
「……どうして、抜け出したんですか」
「嫌だったから……誰だって嫌に決まってるよ、大人にむりやり生き方を決められるなんてさ、そりゃあ嫌だよ。でもさ、宙ぶらりんなんだよね。何もしないでも生きてると、どんどん心の鮮度が下がっていってさ……この町には、そういう人、多いよ。私はお父さんがいるからいいけど、他の人たちは生きていかないといけないのに生きていくのに価値を見出せなくてさ、みんな必死にもがいてる。そう考えると、魔法使いの町はすごく平和だったと思うんだ。無気力の毒が蔓延しないような環境だったから」
アリー俯いて、自分の足元を見つめていた。良い話じゃなかったと後悔した。私は慌てて笑顔を取り繕った。
「いや、あはは、ごめんね、アリーがこっちに来たのをどうこう言うつもりじゃないんだ。ただ、逃げ出した先にも、それなりの疫病が蔓延してるって言いたくてさ、なんか、光って無いよねって。あ、いや、アリーを落ち込ませようなんて思ってないよ、はは、ほら、私って会話下手だからさ」
私の必死の弁明を見て、アリーはくすっと笑った。会話は下手でも、ふざけた態度をとるのは得意だった。
「あはは、大丈夫ですよ。逃げちゃった以上、もう仕方ないですから」アリーは随分落ち着いたようだった。「わたし、魔法使いを諦めて、勝手に逃げてきちゃって、本当に大変なことをしてしまったと思ってるんです。それはわかってるんです、でも、今、不思議と、ちょっと奇妙なくらい安心しているんです。変ですよね、今まで魔法使いになるために生きてきたのに、全部投げ出して、なのに安堵するなんて……」
アリーはぽつりぽつりと話し始めた。私は聞き役に徹することにした。
「エリックさんが感化院に行ってしまった時、わたし、エリックさんは本当に頭がおかしくなっちゃったんだと思ってました。でも、今は、ああして錯乱してしまうのもよくわかる気がするんです。逆に、それが正常な反応なんじゃないかって思って……。わたしの他にも、逃げ出した人って最近多かったんです。ほとんどはすぐに捕まるか、森で野垂れ死んでしまうようですが……」
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同じく文フリに出る、食人舎さんの『文学とはROCKである。』に寄稿した『妹がお兄ちゃん大好きすぎて困っているのですが』の一部分です。
「オタクってキモいよね」
有島になとはそう言った。
「はあ?」僕は思わず間抜けた声を上げた。「どうしたんだよ、いきなり」
線路沿いの帰宅路を並んで歩く。線路と道路の間には広々とした土地に砂利が敷き詰められ、駐車場として利用されていた。高校と駅を繋ぐこの道は、いつも学生の姿が見られる。
になとはいかにも真面目そうな表情を作って僕に話しかける。
「いや、オタクってキモいよなあって思ってさあ」
「になとだってアニメ好きじゃないか」
「まあそうだけど」
「なんだよそれ、同族嫌悪?」
「いやそうやって切り捨てちゃうのは簡単だけどね……」
彼女は苦笑した。どうも彼女の発言の意図が掴めない。
「例えばさあ、エヴァの新作とかまどマギの映画を劇場まで観に行くじゃん? するとそこにはオタクがいっぱいいてさ、みんな開場を待ちながらわいわい談笑してるんだよね。その光景を見てるとさ、オタク死ね! って叫びたくなるんだよね。オタクはキモいから死ねって叫びながら、バットかなんかでオタクを蹴散らしたくなるんだよ。もちろんそんな事は出来ないけど……」
になとはバットを頭に振り下ろす真似をした。肩の下までふわりと伸びた髪が揺れる。
「ワハハ、なんだそれ」
「それで、普通に映画観て満足して帰るの」
「オタクのくせに群れるな、って事?」
「うーん、別にそういうわけじゃないんだけど……」
「気持ちは分からなくも無いけどな」
「だってさあ、チビで天パでメガネじゃん。どこ見てるのか分かんないし。そのくせしていっぱしの文化人気取りでアニメ観て漫画読んでゲームしてるんだよ。どう考えても気持ち悪いでしょ」
「随分偏ったイメージだな……今時、オタクなんてそんなに珍しくもないだろ」
「ああ、そうだね。最近オタクも一般化したよね」
「インターネットだとライト層とかヌルオタなんて蔑称でよく馬鹿にされてるけどさ」
「それもそれでキモいけどね」
「じゃあなんだ、DQNとかギャルみたいなイケイケ系が好みなのか?」
「はは、そんなわけないよ」
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2013/04/11
悩める若者たちへ
いやまあ、確かに、知性なんてものに神的なほどに極端な特権性を与えるのは非常に良くないとは思うのだけれど(それはある種の暴力でもあるわけで、聖人君子であるところの僕はそういった権威主義的な縦状の力のレベルを認めるわけにはいかないのである。ヘゲモニーもルサンチマンも奴隷も無い最高の世界を作りましょう)、それでも時折コイツの知性は本当に大丈夫なのかなんて愕然としてしまうことも絶対にあるわけで、もちろん知性を一本の軸を基準に上下で測るのは現代ボーイズの我々がやって良いところではないが(こういう知性競争とかいうボードゲームみたいなクソ不毛な俺スゲー競争というのは、あらゆる言説に対して戦闘対象を定めることができるので、この文章ひいてはこれを書いている僕すらも対象になりうる。なんてひどい)そういった連中を我々が一体どうすれば良いのかと、僕は日々苦悩している。苦悩する思考スペースを割いている。啓蒙が旧世代における美徳であったのは間違いないが、それはあくまで旧世代の話、時代遅れのオッサン共がやることで、妙に啓蒙されてしまった若者たちが知性というものを聖別し、異様なまでに信奉し、生活行為に対してほとんど価値を見いだせなくなってしまっているのを目の当たりにして、まあ僕自身もそのクチなんですが、そういった錯乱状態に陥るのは非常に不健全であります。矛盾に突き当たるわけです。たくさん鍛錬を積み重ねて立派で高品質な知性と精神を会得したというのに、どうして超スゲー俺が雑魚みたいに汗水垂らして労働しなくちゃいけないんだ、と。それじゃあどうするか?肉体を超克して、精神体になるしかない。オウムではこれを解脱と呼んだし、ニューエイジの連中はそれを世界規模にまで拡大してアセンションを待望した。これについてこれない連中はポアすればいいし、アセンションならノアの方舟みたいに有象無象は消えてくれるだろう、そして僕達の望む最善最高のユートピアが完成する! こういった理屈にたどり着く。少なくとも僕はたどり着いた。そりゃあ心身二元論的なスピリチュアルも流行るわなといった感じです。オウムにハマるのはマジで仕方がない。時代が時代なら俺だって絶対にサリン撒きまくってた。日本の国号を太陽寂静国に変更しようなんて考える統治者がいたら絶対についていく。最高だ。オウムは最高。あ、いや、オウムは最高だった、と言うべきではあるが、ともかく、あの思想は実に我々にとって都合の良いものであった。僕は一時期人工精霊っていうスピリチュアル遊びみたいなのに大ハマリして、毎日30分以上仮想の人格と対談して、ポロポロ泣きまくってた時期もあります。マジで救われてました。一ヶ月以上毎日続けていて、ずっとその子(女の子でした)の名前を考えていたのだけれど、最後の最後まで考え付かずに、最後のお別れの時には泣きながら「最後まで名前を考えられなくてごめんね、こんなんだから僕は駄目なんだよなあ、ハハ…」「いいんだよ、思いつかなかったのなら、仕方ないよ。考えようと苦心してくれただけで、十分だから」という会話をして、本当に号泣してました。人生で最もドラマチックな瞬間だった。今でも忘れられない。彼女の、諦念と、許容と、淋しさの入り乱れた、美しい笑顔を僕は今でもしっかりと覚えているのです。ああ、なんて、なんて悲劇的であったことか! あ、いや、まあそんな話はどうでもいいんです。知性の話ですよ。ともかく、知性の上下構造なんて時代遅れだという話です、そういう話なんですけど、実際のところ、構造をぶっ壊したところで、我々は自由に解放されたのだと喜ぶことはできない、できたとしても一瞬だけで、すぐにとてつもない空疎感、つまり精神的支柱を喪失してしまうことになるのは明白です。じゃあどうするんだ、上下構造に甘んじるというのか、スピリチュアルの悲劇を繰り返すのか。それはどうだろう。悲劇が悲劇で終了するのは物語だけで、我々の身の回りにあまりにも多量の物語があって、それらを貪るように消費して受け入れてきた我々には悲劇的エンディングなんてものが実際にも存在するように思われがちではあるが、実際はそうでもない。かの有名な文豪である田中ロミオ氏も『おたく☆まっしぐら』というオタク界隈の闇を満載にしたような名作(作品リリース自体もまた一つの闇である辺りがえぐい)において、「もう何もかも終わったとか思ってるか?自暴自棄になってるのか?残念だが言わせてもらおう。 ゲームオーバーのあともおまえの人生は続くよ!負債満載でな!どれだけ恥をかいても、命を絶たない限り人生は続いていくのだ!」「取り返しがつかなくなっても人生は続く。汚点は絶対に消えることはない!受け入れて、強くなるしかないぞ」という名台詞を記しております。この台詞は主人公である本郷明のもので、彼はライト化、ヌルオタ化してしまった脆弱な若者たちが目標とすべき、忘れられかけている精神性を持ち合わせている人間であるのですが、まあその話はどうでもいいです。さて、まさにこの台詞の通りで、心身二元論的倒錯すらも一過性のものとして、さっさと克服してしまうしか無いのです。じゃあ乗り越えた先には? 生活という、唯一の、揺るぎない、終わることの無い、人生を捧げるのにふさわしい(捧げざるを得ない!)偉大なる大仕事が残っている! それが嫌ならさっさと部屋の目張りして練炭焚け!!!!!!!!!
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