2015/08/19

『Life Is Strange』日本語化覚書

※2016/01/20現在の2ch版日本語化でEP5までクリアしました。2ch版の状況としては、EP3は前半部の日本語化が完了しており、EP4、EP5は一部のメインストーリー上重要な箇所が所々日本語化されています。ある程度英語がノリで分かる人なら問題なくプレイできると思われます(僕のTOEICの点数はひどいもんだ!)。
なお、現在でも有志による日本語化は、僅かずつではあるものの、確実に進行してはいる様子です(スプレッドシートの履歴を確認されたし)。

※2015/12/02現在、スクウェア・エニックスから公式に日本語版の発売が発表されており、更に有志による翻訳はこの記事が扱う2chチームとGitHubチームの二者が同時並行的に行っている状況です。どの翻訳を利用するかは各自で熟慮の上ご判断ください。





『Life Is Strange』なるゲームが海の向こうでにわかに盛り上がっているようで、これはエモいぞと思い勇んで購入したはいいが、公式の日本語版は存在せず、有志による日本語化が行われている為、それの適用方法をここに記しておく(しかしながら、洋ゲーをかじっていると有志の日本語訳には様々な局面でお世話になる、この場をお借りして多大なお礼を申し上げたい)。

なお、もし翻訳チームからの苦情や異議申立てがあれば、この記事は速やかに削除する。

また、この情報は2015/08/19時点のものであり、現時点では翻訳作業はEP3の途中まで進んでいるようである。翻訳作業は適宜進行しているはずなので、必要な情報があれば各自で翻訳所をチェックすること。


1. 用意するもの

・Life Is Strange本体

→買え。

・翻訳データ

→新作業所からダウンロードする。
 スレ>>157にURLあり http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/game/52155/1429967185/157
 ファイル→形式を指定してダウンロード→OpenDocument形式(.ods) でダウンロードする。

・翻訳データの変換スクリプト

→スレ>>125にて配布 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/game/52155/1429967185/125

・日本語フォント適応パッチ

→スレ>251にて配布 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/game/52155/1429967185/251


2. やること

・ダウンロードした翻訳データ(Life Is Strange.ods)を変換スクリプト(LifeIsStrangeCV)を用いて変換する。

→変換スクリプトのReadmeに従えばいい。

 Life Is Strange.ods を LifeIsStrangeCV フォルダの create.cmd と同じ場所に入れて、 create.cmd を実行する。
 Outputフォルダ内に作られた Build 、Localization、 Movies の三つのフォルダを、ゲームインストール先( steamapps\common\Life Is Strange\LifeIsStrangeGame )に貼り付けて上書きする。バックアップは自己責任だョ。

・日本語フォントを適用する。

→LifeIsStrangeJPMod64 (あるいは32) のReadmeに従えばいい。

 ゲームインストール先( LifeIsStrangeGame\CookedPCConsoleFinal ) の ExampleGame.upk を LifeIsStrangeJPMod64 ファイルの create.cmd と同じ場所にコピーして create.cmd を実行する。
 Outputフォルダ内に作られた日本語化適用済みの ExampleGame.upk と JpFonts.upk を元のフォルダ( LifeIsStrangeGame\CookedPCConsoleFinal )にコピーして上書きする。

 次に、 LifeIsStrangeGame\Config にある DefaultEngine.ini をメモ帳などで開き
「SubtitleFontName」の項目を検索し、「 SubtitleFontName=JpFonts.DialogFont 」と書き換える。
 更に、[Engine.StartupPackages]の項目を検索し、「+Package=JpFonts」の行を追加する。

・起動オプションに「-Langage=JPN」を追加する。

→SteamのライブラリからLife Is Strange→プロパティ→「一般」タブ→「起動設定…」→「-Langage=JPN」と書き込む。

・起動して日本語化されているか確認する。

→そんなこと言われなくても出来るだろ、な?


3. 遊ぶ

みんなで楽しく遊ぼうね。

2015/08/16

『さくら、咲きました。』をプロモートするだけの記事

1.  日常ってあるよねという話
美少女たちが賑やかに日常を過ごすだけの日常系アニメが持て囃されるという風潮がある。最高だ。日常系アニメは素晴らしい。僕は『らき☆すた』や『ゆゆ式』のような作品を心の底から愛している。しかし日常性というテーマを理解し活性化させるには、日常系アニメについて語るだけでは不十分である。何かを理解するにはそのものの外側から吟味する必要がある(日常系アニメは決して日常の外側に行かないからこそ美しいのだけれど、それはまた別のお話だ)。そこでエロゲーを通じて日常の肯定について少しばかり考察を巡らせつつ、適度にエロゲーをプロモートしようというのが本稿の主題である。
愛すべき日常が唐突に終焉することになりました、じゃあ僕たちは死ぬまでに一体何をしよう系のエロゲーと言えばもちろん『そして明日の世界より――』に言及しないわけにはいかないだろう。しないわけにはいかないのだが、私事ではあるのだが、2007年発売のエロゲーって何があったろうとチェックしていたら、とんでもない文字列の嵐が目に飛び込んできたのだ。そして明日の世界より――、世界でいちばんNGな恋、キラ☆キラ、カタハネ、赫炎のインガノック、R.U.R.U.R、月光のカルネヴァーレ、CloverPoint、明日の君と逢うために……ジーザス、なんと輝かしい一年だったのだろう。もう八年もの歳月が流れたのだ。我々人類はあの頃から一歩でも前進できたろうか?
という僕の葛藤もあるが、実際の所、日常肯定力の高さで言えば『さくら、咲きました。』のほうが圧倒的に優れている。こちらも『そして明日の世界より――』と同じ隕石落下モノであるが、本作の特徴はトコシエという老化や病を阻止する技術が確立された世界という所にある。永遠に生きていられる世界で、主人公である新庄翼は幼馴染の春野つばめに生活部に入らないかと誘われる。以下、公式サイトの作品紹介からの引用である。

「だったら、生活部に入らない? 楽しいよっ!」
「めーは、いつも生活部のことを話するけどさ。一体、どんな部活なんだ?」
「うーんと、簡単に説明すると……生きる活力を探求する、楽しい部のことだよ!」
まったく訳がわからなかった。
「わたしたちってさ、トコシエだよね。だから、とことん楽しく生きなきゃダメなんだよ」

 ああ、文句ない。完璧だ。それが生命というもののすべてだ。今すぐ京都市バスに乗ってソフマップイオンモールKYOTO店でこのゲームを購入しよう。
 生活部員は生きる活力、即ち「楽しみ」を探求する。他愛もない談笑を交わし、温泉を採掘し(『そして明日の世界より――』にも日常の象徴として温泉採掘が登場する)、和風喫茶で一服し、日常系アニメのように日常を満喫する。美しい。生活部部長の「断言しよう! 今日は地球が生まれてから一番にぎやかな日になる!」という部活開始の決め台詞が鬱屈とした人生だった僕の自意識を強烈に刺激する、止めどない感涙、ああ、僕も生きる活力を探求しなくちゃな、なあ、部長、つばめ、美羽、都……
しかし、唐突に小惑星衝突のニュースが飛び込んでくる。生活部は死の不安から目を背けるように空談し、時折互いを励まし合い、日常を続行しながら小惑星の続報を待つ。小惑星を破壊する計画オペレーション・トロイアの公表、それに伴う一時的な全国規模の停電の発表は他人事のように感じられ、ただ漠然とした不安を抱えながら日々を過ごしてゆく。物語は決して「日常の外側」へと完全に出て行ってしまわない。隕石落下という日常の外側に直面しつつも、常に人々は日常を送っているのだ。そうした中でヒロイン達は生きること、生活をすることの意義を見出してゆく。『さくら、咲きました。』はそういう物語である。
無闇に物語の核心に触れた所で物語の魅力を損なうだけだろうから、湊美羽さんを紹介しよう。彼女は世界の終焉に肯定的でニヒリスティックな人生観を持った無口なエロゲーオタクの少女である。え、僕じゃん。両親からの愛を感じられず、自己肯定力を損失したまま育った美羽は憂鬱症を患って死は不幸の鎖を断ち切る救済だと考えるようになる。そこに隕石落下のニュースが舞い込んで、あーやっと死ねるわーと安心する所から美羽ルートは始まる。無論、俗に言う泣きゲーの個別ルートとはヒロインのトラウマ解消成長譚なので、美羽ルートのテーマは死の渇望の克服となる。少女が世界の終焉を目前に生を渇望するようになる様子がどれほどオタクの涙を毟り取るかは想像に難くないだろう。

2.  制作陣は称賛されるべきという話
この作品で最も評価すべきは制作陣の細やかな心配りにある。ハイデガー的に言うと顧慮だ。ハイデガー的に言い換える必要あったか? ともかく、何よりシステムが素晴らしい。シナリオプレイヤー機能はエロゲー史上最も快適なプレイングを約束してくれる。『俺たちに翼はない』のシナリオスキップ機能以来の衝撃を受けたシステムだ。各チャプターをシークバーで視覚的に示すことで、我々はあたかも動画プレイヤーのように好きなシーンを再生することが出来る。また、シークバーにはシーンの転換やCG表示のタイミングも記されており、本稿を執筆する際に大変役立った。シーンにブックマークをすることも可能である。これで我々はいちいちシークバーをいじりながらお気に入りのシーンを探す必要から解放されるのだ。
個人的にもう一つ特筆しておきたいのは、メッセージウィンドウの下部にあるセーブ&ロード等のボタン群に、ミュートボタンが配置されている事である。プレイ中にふとTwitterを眺めて気になる動画を発見した際に、いちいちゲームのウィンドウを開いて設定ボタンを押してサウンドのタブを開いてボリュームをゼロにしてああクソ初期ボリュームって最大じゃないのかよスライダの位置覚えておこう、よし動画を観るぞ、観終えた、エロゲーに戻ろう、またボリュームのスライダをいじって…というあの気が狂いそうになる作業から解放される。ボタン一つですべてが済む。
他にも、ドリームオブヒューマンなる仰々しい名称の機能も搭載されている。登場するヒロインの立ち絵を変更できるシステムだ。具体的には、バイト衣装や獣耳やメガネやパンツブラや縞パンや白パンや紐パンやバンソーコーや前貼りに変更することが出来る。えっちだ。嬉しい。笑顔になれる。…そうか?
更に追加シナリオパッチも配布されている。各ルートのアフターストーリーがおよそ月に一本のペースで計十本も配布された。いずれも生活部や生活部の周囲の賑やかな日常を描いたものである。日常の外側から日常というものを蘇らせ、再び「楽しい日常」を描いていく姿勢には脱帽する。システム面の快適性をも追求することで、プレイヤーが生活部の日常にいつでも回帰出来る環境まで整えている。このエレガントな制作陣の気配りの源泉は一体どこにあるのか? SORAHANEの公式ブログには大自然とスイーツの写真が大量にアップロードされている。この雄大な大地の正体は? SORAHANE本社はどこに位置している? 山形県である。やはり真実とは田舎にあるものなのか。さあ、『のんのんびより』を観よう、日常というものが、生活というものが何たるかを理解した今、我々は再び日常へと回帰すべきなのだ……

2015/02/19

2015/06/06

インディーゲーム

インディーゲームがにわかに盛り上がりはじめてからそれなりの歳月が過ぎた。インディーゲームは星の数ほどあって、それらをすべて追いかけるには人の一生はあまりにも短い。だからといって人々がMinecraftだのTerrariaだのにうつつを抜かしている様をただ眺めているのも癪だし(Minecraftは今でも狂ったように遊んでいるが)、Goat simulatorやI am Breadでキャッキャと騒ぐのも癪だ。2015年にもなってしたり顔でLIMBOやBraidを紹介するのは、耐えられないほど馬鹿馬鹿しい。
なので、もう少しばかり周知されても良いのではないかと思われるインディーゲームを幾つか挙げてみよう。別に僕はインディーゲームに精通している人間ではないし、多少の偏りはあるだろうが、それでも多少はインディーゲームに貢献することは出来るだろう≒アフィちょっとくらい入って欲しい。

Machinarium - Amanita Design




Machinariumには個人的な思い入れがある。私はこのゲームを愛している。Botaniculaも、Samorostもプレイした。素晴らしいゲームなのは間違いない。しかし、今更紹介する必要はあるのか? これ以上何かを書くのは無駄だろう。次に行こう。

To the moon - Freebird Games


 
これも上と同じだ。極上のヒューマンドラマが詰め込まれたゲームだが、もはや何も言うまい。

Papers, Please - Lucas Pope


 
君に与えられた選択肢は二つだ。入国を許可するか、許可しないか。迅速に作業しないと君の家族は飢えと寒さで死ぬ。ただ働いて給料を稼げばいい。今更紹介する必要も無いが。

Dear Esther - The Chinese room


 
このゲームは何をするゲームなのか? 荒涼とした無人島を歩くゲームだ。時々モノローグがランダムで流れてくる。以上だ。そんなゲームの何が面白いのかだって? こういう類のゲームをアートだと言って褒めそやす連中がこの世界には一定数存在するのだ。このゲームがアートか否かは置いておいて、確かにこれをプレイし終えた後の感覚はタルコフスキーやらアンゲロプロスの映画を観終えた後のそれとよく似ている。つまり、君はDear Estherをプレイすれば、Serious Samを好むような連中を小馬鹿にすることが出来るのだ。素晴らしいことだろう?

Deadlight - Tequila Works




ゾンビがたくさんうろついてて、サバイブするのが目的のゲームだ。システムはおおよそマリオと同じ。正直よく覚えていない。

Banished -  Shining Rock Software LLC


 
のんのんびよりは好きか? ならこのゲームをプレイする義務がある。木を切り、鹿を狩り、山菜を集め、作物と家畜を育て、村を発展させていくゲームだ。村人は凍死し餓死し老死する。時々産まれたりもする。君の村にある家を見てみよう。13才の少女と20才の青年が一つ屋根の下で生活している。僕は笑顔になった。

Risk of Rain - Chucklefish



Pew Pew Pew

Tiny and Big: Grandpa's Leftovers - Black Pants Game Studio



この記事はこのゲームを紹介する為に作られたようなものだ。祖父のパンツを求めて旅をするというストーリーにケチをつける前に、まずこの素晴らしいオブジェクト破壊を体験して欲しい。道がなければ岩を切り落として作る。君が馬鹿だったら目的地に辿り着けるように石を切ることは出来ないだろう。西部劇を彷彿とさせるようなBGMをバックに巨大な岩や壁を切り落とすのは何物にも代えがたい快楽を与えてくれる。

They Bleed Pixels - Soiijy Squid Games Inc.


 
可愛い、スプラッタ、超難しい。

Long Live The Queen - Hanako Games 


 
steamの美少女ゲーム界隈は大変賑やかだ。steam初エロゲとして話題となったEverlasting Summer、HuniePop、Sakuraシリーズなどの海外産美少女ゲームだけでなく、planetarian、WORLD END ECONOMiCA、ナルキッソス、eden*、電激ストライカー、ひぐらしのなく頃になどのローカライズ版も配信されている。Go! Go! Nippon!の話はやめておこう。
さて、このLong Live The Queenはそんな中で配信された美少女育成シミュレーションゲームで、プレイヤーはお姫様を育てながら戴冠式まで生き残らせなくてはならない。プレイヤーは自由に姫をプロデュース出来る。魔法使いでもいいし、軍国主義者でもいいし、社交性の鬼でもいいし、芸術と音楽を愛する引きこもりお姫様でもいい。偏ったプレイをしていると大抵死ぬが。LLTQの政治情勢はあまりに複雑で、一箇所に肩入れすればすぐさま反発が起こる。と思いきや外国の海軍が襲来したりする。君がこのゲームの実績をフルコンプする頃には、お姫様は間違いなく50回は死ぬことになるだろう。しかし挫けてはいけない。この可愛らしいお姫様が生き残る道は必ず用意されている。まあ、戴冠式の前に彼女の結婚相手を選ばないといけないが。

Viscera Cleanup Detail - RuneStorm


このゲームを君に薦めてくる人がいたら、君はその人を信用してはいけない。少なくとも、絶対に金を貸してはいけない。今すぐ着信拒否リストに追加すべきだ。このゲームは苦行だ。Deadspaceのようなスプラッタ冒険活劇が繰り広げられた後の宇宙船で、君は清掃員として宇宙船を完璧に清掃しなくてはいけない。ゴミの一つも残してはいけない。死体を床に落とせば血が飛び散り、それをまた拭きとらなくてはならない。ただでさえ面倒な仕事だというのに、バケツを生成する装置は5回に1回は人間の腕を生成して血を撒き散らす。気が狂いそうになるような二時間を耐え、宇宙船を完璧にクリーンにして業務終了の報告をしても、君は散らかった事務室に送られるだけだ。他には何も起こらない。Escキーを押してゲームを閉じるしかない。何一つとしてエンタメ性の無いゲームだが、不思議なことに数ヶ月に一度は宇宙船を清掃したくなる。マルチプレイで友人の二時間を溝に捨てるのは良い気晴らしになる。ところで、俺の部屋はいつになったら綺麗になるんだ?

Mountain - David OReilly



山がある。四季が巡り、時折ユーモラスなアナウンスが表示され、がらくたが降ってくる。他にもキーボードでピアノが弾ける。なんて詩的で美しいゲームなのだろう。君が教養のある人間ならプレイすべきだ。きっと楽しめるに違いない。

The Westport Independent - Double Zero One Zero




このゲームはまだアルファ版がリリースされただけで、ゲームの性質上、日本語化を待たないとプレイできない人も多いはずだ。しかしこのシビれるトレーラーだけで財布を開く価値はある。楽しみに待とう。

プリンちゃんとお風呂に入ろう! - paraborica



プリンちゃんとお風呂に入れるゲームらしい。なあ、プリンちゃんって誰だ? よくわからないが、どうやら精巧なモデリングの美少女とお風呂で殴り合えるらしい。プリンちゃんはボクサーらしく、なかなか手強い。左右のゲージのバランスを保ちつつ、パイタッチと顔面殴打を交互に織り交ぜてライフを削っていくと、プリンちゃんはかわいらしい悲鳴を上げながら浴槽から逃げ出そうとする。すかさず右フックを浴びせる。プリンちゃんは足を滑らせて浴槽に頭をぶつけて死んだ。なるほど、良いゲームだ。

2015/04/12

エモい名文

名文を集めるというのやったことなくて、まあメモ帳でやれよという話なんだけど、せっかくだしシェアする。泣けるとか格好良いとか人生訓になるとかではなく、単にエモい文章を蒐集する。適宜追加していきたい。

小説・戯曲等


「君は何をいうのだ? 血だって……? 海……? 血は暖かい。海も暖かかった。ぼくもそう聞いたことがある。だとすると、もし海へ帰って行くならば、癒されるとでもいうのか?」(ゴットフリート・ベン 作品名は失念した。著作集第3巻に収録されている戯曲なのは覚えてる)

「しかし、僕の気持ちをいえば、ぼくたちは水母のままでいたらよかったのです。ぼくは発展の歴史なんてのには一切価値を認めません。脳髄は迷いの路です。中流階級に対する恫喝です。直立して歩こうと、立って泳ごうと、そんなのは単なる慣習の問題にすぎません。脳髄のおかげで、ぼくのすべてのものとの関連が打ち砕かれてしまいました。宇宙がざわめき過ぎて行くのです。ぼくは岸辺に立っている木です。灰色に、直立して、そして死んでいます。ぼくの枝はまだ流れる水の上に垂れ下がっている。しかし、それはただ内面を見つめているだけです。内に流れる血が、黄昏れて行くのを、四肢が冷たくなって行くのを、ただじっと眺めているだけなのです。ぼくはもう動かない」(同上)

「おお、ぼくは再びなりたい、花の咲き乱れた平原、砂、広い草原に。生暖かい波、冷たい波に乗せて、地球はすべてを運んでくる。額で考えるのはもうたくさんだ。草木の生を生きるのだ」(同上)

彼は外をみやって、太陽がすでに沈み、庭の上にほんのわずかの残照が残っていることをみてとった。もうそう長いことはあるまい、もう外の庭には陽の光はないだろう。けっして、けっして陽の照ることはあるまい。ひとすじの陽の光だって、もうぼくは見ることはあるまい。最後の夜が始まるのだ、最後の日は暮れていったのだ。ほかのすべての日と同じように有意義にすごすこともなく漫然と。形ばかりの祈りをささげ、ブドウ酒を飲み、そして今は女郎屋でねばっているのだ。彼はすっかり暗くなるまで待っていた。どのくらい時がたったのか彼にはわからなかった。この女のことも忘れていた。ブドウ酒のこともこの家のことも、すっかり忘れていた。彼はただどこか森のあたりをながめていたのだった。森の木の梢には最後のひとすじ、ふたすじの残照が残っていた。ほんのひとすじ、ふたすじの残照が。えがいたような赤味をおびた光のすじが、たとえようもなく美しく梢に残っていたのだった。光のちっぽけな輪、彼がみるであろう最後の光だった。もうない……。いや、まだちょっぴりとある。いちばん遠いところに生えたいちばん高い木のうえに、ほんのわずかばかり。金色の光をいつかは捉えることもできよう。あの金色の光だってまだ半秒ぐらいはつづくことだろう……なにもかもなくなるまでには。まだ残っている、と彼は息をとめながら考えた……まだあの木の梢にちょっぴり残っている……おかしいくらいなかすかな残照が。それなのに、これを注視している世界じゅうでただひとりの人間はぼくなのだ。まだある……まだある、まるでゆっくり消えていく微笑のようではないか……まだある、もう終わりだ! 光はなくなった、あかりは消えたのだ。もう見ることはないだろう……。(ハインリヒ・ベル『汽車は遅れなかった』)

無だ……たいしたことはない……(ハインリヒ・ベル『汽車は遅れなかった』)

彼はネットリンガーをじっと見つめながら待った、二十年以上もの昔から願ってやむことのなかったものの到来を、依然としてむなしく待った。憎悪を。はっきりとした憎悪というものが自分にあってくれればよいと、いつも願ってやまなかったのだ。だれかの顔をなぐりつけたり、尻を蹴り上げて、そしてどなるのだ、《こん畜生、この豚野郎》と言って。そういう単純な感情を持てる人たちのことを、彼はいつも羨ましいと思っていた。(ハインリヒ・ベル『九時半の玉突き』)

「ちくしょう」と、彼は考えた。「まったく馬鹿だったよ、おれは。いつも馬鹿だ。つねに正直で、几帳面で、な。ところがほかのやつはいつも愉快にやってたんだ。いまいましい」(ハインリヒ・ベル『アダムよ、おまえはどこにいた』)

九時五分頃パトロールがカフェーに入って来た。将校が一人と、兵隊――上級上等兵が一人だった。最初、彼らはちらっとカフェーの中を一瞥しただけで、また出ようとした――ファインハルスはドアを注視しはじめた折だったので、はっきりと彼らを見た。ドアを見つめるということには、何かすばらしいものがあった。ドアが希望だった。ところが彼の眼に入ったのは兵隊を従えた、その鉄兜の将校だけだった。二人は中を覗いただけでまた出ようとしたが、そのうち将校が突然彼を見つけて、ゆっくり彼の方へ歩いて来た。彼は、おしまいだ、と悟った。この連中は唯一の効果的な手段をもっていた。彼らは死を運営していた。死は彼らの命令に服従した。そして死ぬということは、この世で何一つできなくなることだった。ところで、彼にはまだこの世でしなければならないことがあった。彼はイローナを待とうと思っていた。彼女を捜しだして、愛そうと思っていた――無意味なことだとはわかっていたが、成功するかもしれぬという一縷の望みがあったので、待とうと思っていた。これらの鉄兜の男たちは、死を手中に収めていた。彼らの小さなピストルの中には、彼らの厳粛な顔の中には、死が腰をかけていた。そして彼ら自身死を煩わそうとしないでも、彼らの背後には、いつなんどきでも絞首台と自動拳銃の機会を死にあたえようとして、待ち構えている男たちが無数に立っていた――彼らは死を運営していた。(同上)

「父さんにとって、生きることは……生きていくことだけで十分だったんだ。しかし、ぼくたちはそうはいかない……死んだあとのことや、公教要理の神秘的な教えのことや、それに、目に見えない世界を信じたりすることも必要なんだ。だって、そうでもしなきゃ人生はあまりに悲しすぎると思うよ……だけど父さんはと言えば、まったくそういう必要性がないくらい強靭な人なんだ」(著者失念、『現代スペイン演劇選集』所収)

私の家は便利だ、ありがとう。(ル・コルビュジエ『建築をめざして』)

彼らは同じ足取りで行進する、彼らの拍車がかちゃかちゃ鳴り、サーベルががちゃがちゃ音を立てる。街の明かりが黄色く、懐かしく、彼らにウィンクしている。二人は道がどこまでも尽きることがないようにと願っている。こうして肩を並べて、いつまでもいつまでも行進していたい、と。二人のどちらもが何かひとこと言わなければならないのに、二人は押し黙ったままだ。たったひとこと、ひとこと言うのはたやすい。しかし言わないでいる。これが最後だと少尉は考える。こうしてぼくたちが肩を並べて歩くのもこれが最後だ!(ヨーゼフ・ロート『ラデツキー行進曲』)

わたしの目の前には迫り来る危険に気づかない将校がいた。狙いを外すということはあり得なかった。その距離なら千発撃っても的を外すことはなかっただろう。引き金を引くことだけで十分だった。彼は崩れ落ちていただろう。彼の命がわたしの意志にかかっているという確信が、わたしをためらわせた。わたしの目の前にはひとりの人間がいた。人間が!
人間が!
その目や顔つきをはっきり見ることができた。夜明けの空が次第に明るくなり、太陽が山々の峰の向こうから上がろうとしていた。こんな風にすぐ近くにいる人間を撃つ……まるでイノシシのように撃ち殺すなんて!(エミリオ・ルッス『戦場の一年』)


おまへの妹のお祈りを、童心に描く天国を、
 喜びにみちた考へを、そつとその儘にしておくがよい。
 それと話の説法で、
朗らかな月日をおくるその生涯を、かき乱してはいけないのだ。
(アルフレッド・テニスン『イン・メモリアム』)

二人の名前を 書きたまへ、
 その文字は 喜悦の朝の無音の象徴、
 その文字は 行く末々の村人達に讃まれよう。
聞きたまへ 頭上にひびく鐘の音を。
(同上)

映画


俺は毎年 夏になるとずっと 9月の目標を立てた 今は違う 今は昔の目標を思い出して過ごしている 怠けたり忘れたりして 消え失せちまった目標を 郷愁の何が悪いと言うんだ? 未来が信じられない者の 唯一の気晴らしさ 雨は降らず 8月も終わり 9月は始まらない 俺はありきたりだが 気に病むこともない これでいいんだ(パオロ・ソレンティーノ『グレート・ビューティー/追憶のローマ』)

幕切れは決まって 死である だが それまで生があった あれやこれやに隠されて すべては駄弁と雑音の下に埋没する 静けさと情緒 感動と恐れ 美しさのわずかで不規則なほとばしり それから理不尽なおぞましさと哀れな人間 すべては生きるという困惑のもとに埋葬される かくかくしかじか 彼岸が存在するが 私は彼岸には関わらない こうしてこの小説ははじまる とどのつまり ただのトリックだ そう ただのトリックなのだ(同上)

若い頃 私の友達は口を揃えて こんな風に答えたものである ”頭の軽い女” 一方 私の答えはというと ”年寄りの家の匂い”だった この時の質問は ”人生で一番好きなものは何か?”だった 私は感受性を授けられていて 後に作家になる運命で ジェップ・ガンバルデッラになる定めだったのだ(同上)

その他


「お前は投石機から放たれた石だ。飛び立つ瞬間にはこの上ないスリルを味わえる。しかし、あとは落ちるだけだ。重力がお前の息の根を止めるまで」(Bioshock: Infinite)

所感


なんというかハインリヒ・ベルが圧倒的にエモ過ぎてこれに肩を並べられる作品が思いつかない。
あと、図書館で借りた書籍だと細かい作品名が分からなかったりして不格好だが、これを整えるためだけに図書館に行くのもダルい。
読んだ人が文章を選択していいね!を押せる機能とか欲しい。はてブロでやればいいのかもしれない。

2015/02/20

Metro: Last Light

0.
Metro: Last Lightをようやくクリアした。2013年5月に発売で、僕が購入したのが同年12月なので本当に今更である。発表当初はあれほどE3トレーラーを繰り返し視聴して発売日を待望してたのに、妙な億劫さと致命的なバグのせいで一年越しのクリアとなってしまった。
いつの間にか日本語化MODも開発されていたみたいで、導入し20章あたりから再開してぶっ続けでクリアした(日本語化MODを求めている人はググれば一発でヒットする)。
E3トレーラー。



関係ないけどエンディング曲が良かった

1. 
マイ・スイート・ホーム、ロシア

















ポストアポカリプス、核戦争、廃墟、ロシア、これらの単語が琴線に触れる人間は多い。根暗で破滅志向の僕たちがMetroをプレイしない理由は無い。
ゲーム体験への没入感を追い求めたMetro: Last LightはUIの撤廃を採用した。体力ゲージとか弾の残数なんかのゲーム的なステータスは表示されない。このスタンスはDead Spaceが大きな話題を呼んだ手法で、あれもホラー表現の追求の末に考案されたものである。

このゲームのガスマスクは凄い。セーラー服にガスマスクの組み合わせというインスタントなデザインが好きな人達はこれをプレイして反省して欲しい。
外の世界の大気は汚染されてるのでガスマスクを装着しないと生きていけない。ガスマスクのフィルターも定期的に取り替えないといけない。怠ると主人公が苦しげにゼエゼエ言い始め、やがて咳き込み、最終的に死ぬ。
雨が降っているとガスマスクのゴーグルは濡れる。泥に入ると汚れるし、血が飛び散ることもある。ハエがゴーグルに止まることもある。ハエの羽音が聞こえてくるゲームは多いが、ハエがガスマスクのゴーグルに止まる時の音が聞けるゲームはMetroだけだ。ちなみにGキーを押せば手で拭ってくれるが、このグローブでゴーグルを荒々しく拭う効果音もまたたまらない。暇な移動中は意味もなく何度もGキーを押下してその音を楽しんだ。
敵の攻撃を受けるとガスマスクのゴーグルは割れる。自明の理だ。こういう時はどこかに転がっている死体からガスマスクをもぎ取って交換する他ないが、壊れる瞬間は絶対に戦闘中で、しかもわりと手こずっている場合が多い。視界も不確かで、状況も悪いとなると大変焦る。
暗くて何が何だか分からないが、ゴーグルが割れているのはわかる

















プレイヤーへの嫌がらせとして機能するガスマスクの描写は確かに不愉快ではあるが、それはこのゲームが見事な没頭感を生み出している証左でもある。
核戦争後の世界で、見づらいから変な描写やめろなどと誰が文句を言えるだろう? これは我々が望んだ世界なのだから、ただ黙ってゴーグルを拭っていればいい。

シナリオも中々良い。核戦争後にも僅かな資源の奪い合って争い続ける人類と、殺さないことは何よりも尊いと主張し人類と共存を望むミュータント、ダークワン。この主張はゲームシステムとも連動していて、トゥルーエンドにたどり着くには理不尽なまでのカルマ値を要求される。敵を殺さずにステルスして進むとか、死体を漁り過ぎないとか、乞食に金(弾薬だけど)を渡してやるとか、ギターを弾いてみるとか、隠し部屋を発見するとか。要はいっぱい作り込んだので隅々まで遊んでくれると嬉しいなーというシステムである。確かに驚くべき作り込みではあるが、知るか。
カルマシステムは鬱陶しいが、カルマ値を上げる為に憎むべき敵をあえて生かすシナリオを選択するのは気持ちがいい。聖人になった気がする。

あと個人的にこのゲームのインプレッションを執筆する最大の要因となったのは、ゲーム内に登場する絵である。共産党主の回想シーンで見られる。いずれも元ネタに忠実に描き直されてて素直に感心した。
ゲーム内に登場するアートワークが優れているのは良いゲームの証拠である。Spec Ops: The Lineのこれもかなり好きだった。
















左の元ネタ















2.
以下、問題点。
・ステルス推奨のくせにステルスシステムが雑。AIも馬鹿だから目の前でライトを落としても微動だにしない。最終的に次の扉を開けば敵の追跡は止むので、バレたらダッシュで扉まで行けばいい。
・FPSのダメージ描写ってどの方角から食らったかを教えてくれるように表示されるのが通例なんだけど、ミュータントの体当たりを食らうと方角指示とは別に画面の左半分に傷跡だか血糊だかが付く。おかげで左か!?と騙される。
・敵のヘッドライトが明るすぎて照準を合わせると敵が見えなくなる。
・終盤に連れて狂気に侵されていき画面に異常なエフェクトがかかるというのは常套手段なのだけど(Spec Opsとか)、Metroは多用し過ぎで単純にプレイしづらかった。歩いてるだけで画面のコントラストが狂っていくのにはうんざりした。
・入力言語が日本語のままゲームを起動するとキーボードが反応しなくなる(正確には何か一つのキーが入力されっぱなしの状態っぽい)。マウスしか使えなくなるので、ガスマスクのフィルタが切れて死亡しメニュー画面が出るのを待つか、PCを再起動するしかない。発狂しそうになった。
・入力言語が日本語のままゲームを起動しアイテム購入画面を開くとゲームがクラッシュする。
・クラッシュや再起動に耐え、再びゲームを起動するとスキップ不可のクソ長いロゴムービーが流れてくる(ファイルをいじればカット可能)。発狂する。
・なんか全体的にもっさりしてる。
・ゲームが面白いかと言われると頷けない。デザイン、世界観、効果音、シナリオ辺りの雰囲気要素は最高。

3.
結論、根暗が退廃的な気分に浸りたい時にプレイすべき傑作。しかし今更このタイミングで勧めるような作品か? アフィもやってねえ癖に、無駄に時間を費やしただけじゃねえか。