2015/12/12

Carpe Diem

 ここ半年ほど、やたらとsteamに無料のノベルゲームが増えたように思われる。steamで何が起こっているのかは知らないし特に知りたいとも思わないが、一応記事を書いておく。


 とりわけ僕を驚かせたのは『Written in the Sky』で、このゲームは何となんかよくわからないけど、二人の美少女が性行為をするのだ。すごい。ストーリーは15分程度で、僕は全部スキップして実績を解除した。全実績を解除したのはこれが僕の人生ではじめてだ。
 しかしながら、フリーレズビアンセックスを容認するとはsteamもいよいよここまで来たのかと思わざるをえない。この文化が成熟して『カタハネ』のような記念碑的百合作品を生み出す日もそう遠くはないだろう。LGBT万歳。

 他にも軽く調べるだけで幾つか見つかる。




 すげー良い、アマチュア感全開で、これぞ人間の営みという感じがする。在野の人間の創作活動を漁るのはこれだからやめられない。商業化の波に襲われる以前の、プリミティブな人間の表現というものがここには残されている。
 『Voice from the Sea』はやや頭一つ抜けたクオリティな気はするが。次にプレイするとしたらこれにしよう。わりかし評判も良いようだし。

 そして今回僕がこの記事を書くに至ったゲームがこれである。

Carpe Diem

 カルペ・ディエムとは大きく出たもんだ。
 このゲームの総プレイ時間は全ルートで20分程度で、エンディングは1つ。僕はオートモードを駆使して錆びついてた包丁を研ぎながらプレイした。

 まずは表題の意味を丁寧に読み解いてゆこう。
 カルペ・ディエムは「メメント・モリ」「ヴァニタス」の言葉に続く最後の句で、とりわけバロック期の文化に深く影響を与えた語の一つである。
 メメント・モリ、即ちラテン語で「死を忘れるな」は比較的メンヘラのみなさんの間でそれなりに日常的に用いられる語なので馴染み深い言葉だが、西洋ではメメント・モリはヴァニタス、カルペ・ディエムへと続くようなニュアンスで使われるのが一般的だ。

これは死のイメージです。

 ヴァニタスとはラテン語で「空虚」を意味する語で、旧約聖書の「ヴァニタス・ヴァニタートゥム(虚無の虚無)」がよく引用されるらしい。人間とは誰も彼もがやがて死にゆくものであるし、それゆえに人生に永遠不変などは無く、全ては空しい。どれだけ現世で華々しいものを集めたところで何者も死から逃れる事は不可能なのである、といった意味合いで華美な花々や甲冑などと共に置かれた頭蓋骨が美術のテーマとして描かれることが多い。

これは空虚のイメージです。

 そしてカルペ・ディエムへと続くわけです。直訳すると「その日を摘め」、およそ「人間は死ぬんだしこの瞬間くらいは楽しんどけ! 酒も飲め!」くらいの文脈になる。古代ローマの詩人ホラティウスの言葉に登場する語句である。
 カルペ・ディエムという語において、人々は死や空虚などという振り払い難いものを転覆させ、日々を快活に生きてゆく強さへと変換していったわけである。すごいですね、立派ですね。諸行無常とか言って悲嘆に暮れてるジャップの皆さんとは大違いだ。

薔薇が枯れてしまう前に摘んでいる様子です。

 といった文脈に位置する「カルペ・ディエム」をタイトルに冠するとはいい度胸じゃないか、となるのがこのゲームである。果たしてこの作品には死や空虚を徹底的に強度へと変換するようなテーマ性が用意されているのだろうか? されてるわけがないんだよな…などと思いつつゲームを起動する。


 めっちゃプリミティブだ、良い…。



 物語はデートの待ち合わせにヒロインのAiが遅刻する所から始まる。ド定番である。今時、日本でこんな冒頭を採用しようと思う人間はそういないだろう。





「待たせちゃった?」
「イェア、30分くらいな」
 日本だと「全然大丈夫だよ」とフォローする所を平然と時間まで告げるハードな主人公である。
 しかしヒロインはヒロインでド痴女みたいなファッションだ。
「今日はどこへ行こうか?」



 ショッピングモール、公園、ゲーセンの三つからプレイヤーは行き先を決めることが出来る。このボキャブラリーの少なさが作者のオタクらしさをありありと表現しており、実に味わい深い。余談だがこの選択肢がプレイヤーの関与しうる唯一の要素である。
 ちなみに、ショッピングモールに行くとその後にゲーセンに行き、公園に行くとその後にショッピングモールに行き、ゲーセンに行くとその後に公園に行くこととなり、作者の見事なシナリオ節約の手腕が遺憾なく発揮されている。



「この服とか似合うんじゃない?」
「いらないよ」
「いいじゃん、(テメエはオタクだから服買わないし)私が買ってあげるからさ!」
 という健気な献身っぷりを見せるヒロインに対し、会計をしている間に一人でPCストアへ行くクソ主人公。これは衝撃的なエンディングの伏線となっている。

 本屋ではAiちゃんは料理本を探す。


「ねえ、どんな料理が好きなの?」


「時々あんたに作ってあげるからさ」


ブフ・ブルギニョン


「ワオ、イカすじゃん。ベーコンエッグから初めてみない?」

 主人公のクソ鬱陶しい返答にも平然と返すAiちゃん。本当に良い子である。
 ショッピングモールを歩きまわるのにも飽き、二人はゲームセンターへと向かう。そこで、AiはUFOキャッチャーの景品の巨大な蜘蛛のぬいぐるみ(違うかも)を見て可愛い!欲しい!と騒ぐ。やや可愛いの基準がズレている系の設定らしい。


「このクレーン壊れてるでしょ!」
 Aiは何度も挑戦するも、全て失敗する。


「馬鹿言うなよ、ほら、俺が取ってやる」


…俺はあまりUFOキャッチャーが得意じゃない。





「獲った!」
 何とかなった。
「ワオ、どうやったの!?」
「簡単さ。」
 知っている全ての神に祈ったのさ…。

 キザで鼻持ちならない男である。



 そうこうしている内に日は暮れ、夜景を見渡せる小高い丘のベンチに座って花火を眺める二人。なんでもない休日かと思いきや、都合よく花火が上がっているらしい。この実にチャチな背景が良い味を醸し出している。僕の一番のお気に入り画像だ。
 主人公はこの時間が永遠に続けばいいのに、と願う。


 だが、もう時間が無い…


 彼女は悲しげな顔でこちらを向いた…


「時間、なんでしょ?」

「アンタは私と付き合うべきじゃなかったのよ」


「言うな」


「結局、私はただの――」
 画面が暗転する。


…なあ、チューリングテストって知ってるか?
 これは「アルキメデスの原理って知ってるか?」のパロディなのだろうか。

機械の知能に関するテストで、どれだけ素晴らしい機械も人間のようにはなれないんだ…どれだけ人間にそっくりだったとしても、だ…
それは決して本物の人間にはなり得ないんだ…
そう…


ちょうど、Aiみたいにね。


彼女のプログラムがどれだけ優れていようとも。


どれだけ俺が否定しようとも。


彼女は決して現実にはなれないんだ。


「あー」


「まーたクラッシュしちゃったよ」


「はやく安定版の修正をしなくちゃな…」


「…」


「俺は一体、何をやっているんだ?」


読んでくれてありがとな!
俺のノベルゲームプロジェクトを支えてくれたみんなに感謝だぜ! ほな、次の作品でな!
- Eyzi

「実績を解除しました!」



な、マジで何やってんだろうなあ…

















これが100円か…


なるほどね。

2015/12/02

天使の位置

天使の位置

 僕は醜い男だった、乱痴気騒ぎの中、僕は座敷の畳の上でうずくまって、狂人のような呻き声を上げた。つい先程まで僕と談笑を交わしていた女の子は姿を眩ませていた。まあ、そうだろうと思った。一枚の静謐な天使の羽根を幻視した。すぐさま幻視とわかったのは幸いだった。身体を起こして煙草をつけながら、酒宴の騒ぎを目に入れぬように火種から上る白い煙を目で追った。はやくこの場を抜け出したかったが、輪を乱すわけにもいかず、何本も煙草に火をつけた。餞別気分で参加したはいいが、やはり退屈なものは退屈だった。篠原は言った――俺は頽廃が好きなんだ、と。
「どうしてもそれから逃れられない、心に深く根を張って、引剥がそうものなら僕の全部まで崩れてしまうのさ」
 ちらと煙から彼に視線を移すと、陶酔した微笑を浮かべていた。そうか、と僕は返した。煙のうねりのほうが面白いな、と思った。篠原は続ける。
「世の中は俺に生きろ生きろと言う、生命を手放しで神聖視して、そのくせ毎年二万人のイカしたレコードを叩き出す。ついでに俺はモテない。更に働きたくもない。頽落まっしぐら、それ以外の何があるっていうんだ」
 色々あるだろう、見ろ、煙草の煙はこんなにも面白いぞ。言えるはずもなく、わかるよ、と言わんばかりの笑い声をくつくつと上げた。白煙の精緻な流線は絡まり合いながら空調に流されていく。篠原はグラスのブラックニッカをぐいと煽って、にたにたと笑みを浮かべた。
「――まあ、ともかく、だ。めでたいじゃないか。これは祝賀会だよ。我々アニメ研究会は邪悪なるサークラ女に勝利した。あの、クソったれの、あばずれ女の淫猥な誘惑に屈せず、それどころかますます団結を深め、徹底的に糾弾し、叩き出して、見事に偉大なる勝利を収めた!」
 篠原に呼応して、部長の西田が唐突に立ち上がる。
「そうとも! そもそも、女にアニメの本質が理解出来るわけがなかったのだ! あのビッチは、ただ俺たちモテないオタクを誑かして、肉欲と醜い承認欲求を満たすための道具に仕立てあげようとしていただけだ! そもそも我々アニメ研究会は――」
 場は大いに盛り上がった。歓声が飛び交い、アニメ研究会の面々は互いに自らの勝利を誇らしげに讃え合った。僕はじっと煙を目で追っていた。篠原が俺に顔を寄せる。
「なあ、大宮もどうせこれを機にサークル辞めるんだろ? 俺もさ。さっさとこんな鬱陶しいサークルなんて辞めちまおう。まっぴらごめんだぜ。こんな所以外にだって、いくらでも俺の居場所はあるはずだからな」
 僕は内心を読まれていたのをやや不愉快に思いながらも首肯した。篠原だってついさっき飯田を、例の邪悪なるサークラ女とかいうのを散々バッシングしたくせに、とは当然ながら言えなかった。これが彼なりの処世術なのだ。外面は誰にでも満遍なく良く、その為に内密に人を非難するのを躊躇わない。その語り口調も絶妙で、単なる罵声ではなく聴者の賛同を誘うような軽妙な毒舌だった。
 威勢の良い一本締めで祝賀会はお開きとなった。部長の西田らにカラオケの誘いを受けたが、篠原が手際よく断ってくれた。篠原と僕は帰路についた。僕はバスを待ってる間、鴨川の冷え切った流れを眺めて煙草を吸った。

 メイドを見た。メイドさんだった。気味が悪くなる程に白い肌に、ヘッドドレス、フリルの多いシンプルな白黒のメイド服、黒のレース付オーバーニーソックスが映える。バスを降車したすぐ傍に直立し、表情を変えずにじっと見つめてきた。面食らったが、一度大きく息を吐くと冷静さを再確認できて、僕は気に留めないことにして早足で去った。
 ところで、京都市内にはメイド喫茶は存在しない。正確には、メイド喫茶兼メイドバーや戦国喫茶のようなものはあるが、単にメイド喫茶として営業している店舗は存在しない。有用な人材はみな大阪の、とりわけ日本橋などに流れていってしまうらしい。西田の熱のこもった説だ。だから市内でメイドさんなんて見たくなかった。メイドさんは不吉の象徴だ。
 メイドさんはしばらく僕の後ろを付け回しているようだった。メイドさんの尾行とは拙いものだ。僕は苛々した。部屋に戻ってもまだいた。冷蔵庫の陰からこちらを覗き見ていた。うんざりした。いい加減にしろ、と叫ぶと、ビクリと身体を震わせてから部屋を立ち去っていった。僕は気分が良くなった。ウォッカの瓶を掴んで、胃の底で淀んでいる酔いを焼き払うように、一口、二口と飲んだ。こみ上げてくる嘔吐感を煙に巻こうと思い、煙草を吸った。次第に思考が混乱して、僕は硬いベッドに倒れた。

 幾日か過ぎ、春休みで狂った曜日感覚を部屋で満喫していると西田からの着信があった。応答すると、サークルの例会に顔を出せと言われた。なるほど、今日が木曜日なら例会が行われる日で、既に活動が始まっている時間だった。篠原はいるか、と尋ねると、就活の説明会で断りが入っていると言われた。都合の良い言い訳だと感心した。俺は潔くもうサークルに参加するつもりはないと言った。電話越しに鼻で笑う音がした。僕は携帯をベッドに投げて、小説を書こうと思った。
「あーあ。ハブられちゃいましたね」
 ベッドにちょこんと座っていたメイドさんが僕の携帯を拾いながら言った。
「というか、自ら進んで孤立しちゃったって感じですね」
 僕は何も言わずに煙草をつけた。
「馬鹿馬鹿しいと思いませんか? そうやって居場所を憎んで棄てて、挙句の果てには誰も望んでないのに小説なんか書いて自分の愚行を美化して……」
 僕は当然苛ついていた。
「なんなんです、あなたは。何がしたいんです? ……また無視ですか。別に構わないですけどね。まあ、私はメイドですから、あなたがどうしようがあなたに従うだけなので。いえ、皮肉ってわけじゃないです。ただ、なんというか、ええと、そうですね、忠告というか、耳に留めておくくらいのことはして欲しいというか、その程度のものなので、あまりお気になさらずに」
 そう言ってメイドさんは立ち上がり、キッチンで料理の支度をし始めた。頭が痛い。言われた通り、僕は気にしないようにした。小説は書けそうにもなかったから、録り溜めていたアニメを観た。今期は良いアニメが多いな、と思った。
 同じ部屋にメイドさんがいるというのに耐え切れず、ろくに中身の無い財布をジーパンのポケットに入れて喫茶店へ向かった。コーヒー一杯300円で、客が少なく落ち着いた店内。よく行く店だった。奥の席で篠原が本を読んでいた。サロメだった。悪趣味なものを読んでいるな、と思った。
「やあ、大宮」
 僕は挨拶を返しながら篠原の隣に座り、コーヒーを注文して灰皿を手元に寄せた。サイモン&ガーファンクルのボクサーが流れていた。
「あれからどうだい、俺はもう次のサークルはどこにしようかと見当をつけているところだよ」
 身の軽い奴だな、と思った。次のサークルでも上手く立ち回っていけるだろう。
「次はメディ研か写真研かな。まあ、どちらも無難といったところか」
「写真研って、飯田がいる所じゃなかったっけ」
「ああ、そういえばそうだったかな、そういう気がするなあ」篠原らしくないわざとらしい返事だった。「いやね、実はだね、これは隠しておこうと思っていたのだけれどね、飯田にアニ研を辞めるように催促したのは俺なんだよね。まあなんだ、要するに狙ってるんだよ、しょっちゅう飯田の家に泊まるなどしてね」
「ああ、そっか。そういうことか。なるほど、首尾よくやれたってわけだ」
 篠原は俯いて、自嘲気味に笑った。
「どうも俺のことを軽蔑するような言いぶりだね」
「いやいや、まさか……君は飯田の窮地を救って、ついでに自分の願いを叶える為の地盤を固めたというわけなんだから、素晴らしいじゃないか。良かったと思うよ」
「そうかな。君が本当にそう思ってると良いのだけど……ともかく、飯田は良い女だよ。顔は端正で美しく、顔だって広いから、色々と融通が利いて助かるしね」
「融通って?」
「たまにね、ホラ、違法的なアレがね」
「ああ……」
 僕は特に言及しなかった。沈黙が訪れた。僕は熱いコーヒーを僅かずつ啜り、篠原はサロメに目を落としていた。僕は篠原に怒っていた。西田らと肩を組んだふりをしておきながら飯田には良い顔をして気を引こうとする彼の身の変わり様が癪に障っていた。しかし、それはまだ構わない。僕が勝手に癪に障ったと感じて苛立っていればそれで済むのだ。飯田に言い寄るくせに西田たちの前ではあばずれ女呼ばわりするのだって、飯田に同情を寄せることはあっても、それ以上のものはない。けれども、何より、そうした狡猾さの同士に僕を選ぼうとしたのが許せなかった。西田たちはまだいい。彼らの行為には眉をひそめざるを得ないが、それでも誰も裏切ってなどいない。飯田だって本当に西田たちを誘惑したかどうかの真偽はともかく、僕には関わりのないことだ。しかし、篠原、どうして君は僕に腹の中を明かそうとするのだ。僕は誰にだって怒りなんて覚えたくはない……僕も西田たちと同様に賢く見捨ててくれればそれでよかったというのに……。
「大宮、君のほうはどうだ」
「僕は、何もないよ。ずっと部屋にこもってる。たまに食糧を買いに外出するくらいだ。おかげで気が狂ってしまったのかもしれないけど、よくメイドさんを幻視する」
「ワハハ、なんだそれは。可笑しいな」
「な、マジでビビるんだよな、視界の隅にメイドさんがいるって中々凄い光景だぜ」
「それでそのメイドさんに人生救ってもらうとか? 三文ラノベだなあ」
「最高に幸せそうだけどね」
「確かに」
「でもさ、そのメイドさん、僕に文句を言ってくるんだ」
「生活がだらしない、とかか?」
「いや、それが僕がサークルを辞めて独りぼっちになってるのに文句を言ってくるんだ。お前は何がしたいんだーって。幻覚にそんなこと言われるんだから嫌になってしまうよ」
「それはキツいな。精神疾患かなんかじゃないのか」
「まったくだよ、人生を救うとかそういう浮ついたものですらないぜ……」
 篠原は急に僕の顔をじっと見た。
「お前、でも本当はそういうのを望んでたんじゃないのか?」
「そういうのって、だらしのない自分を叱責してくれる立派な女性ってことか? まさか、勘弁してくれよ、そんな惰弱な願望なんて持ってないさ、そう信じたいね」
「誰だってそう信じたいとも」
「僕が僕を責め立てられたいと望んでいるだと、あれほど望んでこうなったというのに? 容易には受け入れがたい洞察だよ。まったく受け入れがたいね」
「まあそう気を荒立てないでくれ、悪気があったわけじゃないんだ。単なる俺の思い付きに過ぎないんだ、気を悪くしたのなら謝るよ」
「いや、篠原が悪いってわけじゃない、ただ、自分にぞっとするような恐ろしさを覚えただけだよ、こちらこそすまんね」
 再び沈黙が訪れた。僕は三本目の煙草に火をつけることしか出来なかった。おぞましい、なんとおぞましいことであろうか、僕がそのような人間だったと暴かれることがこれほどまでに恐怖だったとは、それが例え真実でなかろうとも十分に恐ろしく、もし真実であろうものなら気が狂ってしまいそうだった。煙を吸い尽くす他に手立てがなかった。
 煙草を吸い切ってコーヒーを飲み干し、篠原に別れを告げて店を出た。メイドさんが立っていた。僕は恐ろしさを通り越して激しい怒りを覚え、自転車を持ち上げて叩きつけるように投げた。
「きゃっ」
 けたたましい音を鳴らして自転車はアスファルトにぶつかり、からからと車輪は空転した。メイドさんは呆然と僕の顔を見つめていた。メイドさんの無邪気さゆえの呆然とした表情に耐えられず、スッと熱が冷めて、早足で帰宅した。メイドさんはそれでも健気にも僕の後ろをなぞるように歩いていた。
 椅子に座り込んで、ウォッカを煽った。メイドさんは布のクッションを床に置いて、ちょこんと上に座り込んだ。
「どうしてあんなことをしたんです? 私が気に食わなかったんですか?」「外で話聞いてました。私の発言が不快だったのでしたら謝ります。お願いですから、あのような乱暴なこと」「私がどうしても嫌いだと言うのでしたら、私、ここを出て行きます。そうでなければ、私はぜひともここに居たいと思ってるんです。心からお慕いしているんです」「でも、それでも私はあなたが間違えてるって思ってます。あなたは悪い人じゃない、それどころかとても良い人格者だと思ってます。でも、そうした人も過ちを犯すことだってあるんです。そういう時って、ちゃんと過ちを過ちとして扱うべきだと思うんです、私はそういう意図であなたに言ったんです、あなたを攻撃する為じゃなくて――」
 メイドさんが発言する度に自分の精神が徐々に支配欲へと歪んでいった。従属させること、僕を正そうとした人間をすっかり僕のものにしてしまおうとすること、その蠱惑的な悦楽に僕の心はすっかり浸りきってしまっていた。そして、それが何よりも僕に吐き気を催させた。
 僕は必死に、がむしゃらに欲を押さえつけながら、声を絞り出した。
「――頼む、頼むから、二度と僕の前に姿を見せないではくれないか……」
 その音は呻き声と区別がつかないほどぐしゃぐしゃで、メイドさんの普段の凛とした顔はぐにゃりと歪んでいった。あ……あ……と幾度か声にもならない声を漏らした後、メイドさんはとぼとぼと部屋を去っていった。ドアを開ける間際、メイドさんは普段の整った表情を取り繕いながら、簡潔で硬固な別れの言葉を述べた。僕は何も返せなかった。

 メイドさんがいなくなった後の生活は悲惨なものだった。悲劇的と呼んでもいい。全くの孤独というのがこれほどまでに痛ましいものだとは思ってもいなかった。僕はずっと呻き散らしていた。ずっと厄介に思っていた大学が恋しくなり、はやく春休みが終わってくれることを切望し続けた。睡眠と覚醒の境が段々と区別出来なくなり、淀みきった精神だけがぐるぐると泥濘のようにうごめいていた。外部からの明確な知覚、すなわち他者が欠落するだけで僕の一切はすっかり腐り落ちてしまっていた。メイド、単なる心慰みの愚かしい妄想であっても、それを棄て去るだけでかくも見事に支えを失ってしまうのかと思うと、自身の情けなさに吐き気を覚えた。なんと弱々しい精神だと自分を嘲笑う度になおのこと腐敗は活き活きと進んだ。
 曜日感覚どころか時間感覚すらも喪失してしまった間、僕はふと夢を見た。
 透き通る夢だった。太陽を遮ることない透明な大地に、無秩序な言葉たちと、静謐な天使の羽根たちが積層している。天使たちは横たわる――無邪気に、動くことなく、彼女らの本当の世界で柔らかな永遠を満喫している。
 ――ああ、俺は君を見たことがある! 君も、君もだ! みなよく知った顔だ! よく覚えているとも、忘れられるはずがないだろう! 君らのその名にそそいだ輝かしい愛を、すっかり鈍麻し病み切ってしまった魂が浴びたあの救済を、いったい誰が忘れようか! 救済、それは間違いなく驕り高ぶった錯覚だった。溺死体のような心に残った醜き所有欲が求めたまったく空疎な倒錯だった――然し、然しだ! 心は紛れも無く、あの時、救われたように感じたのだ! 得ることで得られた救済でなく、仰ぎ見ることで得られた心の安らかなる救済! 仰ぎ見られるものがもたらす心の深くから煌々と湧き出るこの熱情を、ああ、俺はずいぶん長い間感じていなかったようだ。
 俺は孤独を感じながら、それでも身体の隅々が満ち満ちてゆくような感覚を魂に湛えた。世界には静かに澄み切った煌きがたゆたっている。天使たちが脱皮をするように、熱のある翼を遥か高くに掲げるように、若き精神の力強い宣言のように、二つに分かれてゆく、いや、天使そのものは少しも動かず、ただ俺が降下してゆくだけであった。俺は再び天使を仰ぎ見る、卑近な者としてでなく、処方箋としてでなく、彼女らが天使そのものであるように! ――昇れ、昇りたまえ、君よ、君自身の為に!
 さあ、与え得る唯一のもの、このまったく汚れなき純然たる祈りを、この引きずり降ろされた天使たちに捧げようではないか、祝おうではないか! 彼女らが再び天を舞い、不浄なる大地と一切関すること無く、彼女らの身と天空に満ちた黄金を戯れられるように! 天使たちよ、果てなく尊ばれよ!

   *

 目を覚ますと、朝であった。すべてが調和しているように思えた。紅茶を淹れて飲み、煙草の煙を大きく吸い込んだ。胸の奥が気持ち良くなって、頭の中がすっきりとした。凍えるような外気が僕の身体の輪郭を定めて言った。僕は一人で微笑み、沈黙の音を愉しんだ。天使の羽ばたきの鱗粉を感じていた。誰かと話をしたいな、と思った。けれど、今すぐできなかろうとも構わないな、とも思った。
 喫茶店に行くと、やはり篠原がいた。やあ、と僕は挨拶をした。
「元気だったんだね、大宮。何度かメールをしたけど返事もなくて心配してたよ」
「元気ではなかったけどね。まあ、今は快調だよ」店主にコーヒーを頼んで、灰皿を寄せた。「ところでさ、僕は君みたく次のサークルを探すのはやめたよ」
「本当かい、まあサークルでなくとも居場所なんざいくらでもあるからな。飯田みたいにさ」
 僕は上辺だけは同意するかのようにくつくつと笑った。
「飯田、飯田ねえ。そりゃあ恋愛ってのはきっと素晴らしいものなんだろうね、それは間違いないんだろう。でもな、篠原。お前みたいに狡賢く立ちまわって、女を自分のものにする為に人間を裏切り、自分の欲望のために女を作るなんて、僕はそんなげすなことをするくらいなら女なんて欲しいとも思わんね。もっとも、もっと他の恋愛という形もあるだろうけど――ともかく、僕は篠原みたいなことだけは決してしたくないと思ってるんだよ、本当のところはね。あけすけに僕の考えを言ってしまうのならそうなるよ。ああ、僕はいま、君との今までの会話の中でずっとずっとすっきりとした気持ちで話をできているよ。いやね、僕は決して女ってやつの価値を低く見積もろうというわけじゃないんだ。ただただ君のようなことだけはしたくないと思ってるんだ。自分の為だけに女を、いや人間を取り扱おうなんていかにもクズのやり口じゃないか。挙句の果てに居場所なんて言葉を持ち出して自分の行為を正当化する。反吐が出ちまうよ。そんな醜行を理論武装で整えたって、よっぽどのめくらでもない限り誰だって君なんか門前払いに決まってるだろう――」僕は一旦言葉を区切った。篠原はぎょっと目を見開いてこちらを見ていた。決して構うものか――「なあ、篠原。君は僕を軽蔑するかい? 君が僕を軽蔑するというのなら、僕も快く君を軽蔑できるよ」
「俺は」篠原は考えを整えるように間を置いた。「俺は、お前が俺にそんなことを思っていただなんて考えもしなかったよ。気の置ける良い友人の一人だと思ってた。俺は君にすっかり裏切られたように感じている。けれども君はこう言うのだろうな、勝ち誇ったような顔をして。もともと信頼なんてなかった、と。俺は君を信頼していたってのにな。お前にとって信頼を見捨てるのはそんなにも軽々しくやってのけられることなのかい、なあ、大宮」
「信頼しようと思っていたよ、ずっとずっと願ってたんだ。でもさ、無理だったんだよ。お前みたいな奴をさ、信頼できるわけないだろう。居場所を求めるという獣欲に身を委ねて、ところ構わず狡猾に人間を食い荒らして、骨だけが残ったら次の獲物へと飛び掛かる。人間とヒグマの間に倫理が成り立たないのと同じだ。篠原、君は飢えた獣を目の前にして、俺はお前を信頼しようだなんて高らかに叫べるか? できっこないのさ、だから僕は君を信頼するのをやめたのさ」
 篠原は僕を蔑んで強く睨んだ。僕と篠原の縁もこれで終わりで、とうとう話す相手もいなくなるだろうな、と思った。
「なあ、大宮。最後に一つだけ教えてくれんか。俺はこれ以上君を糾弾したくはないからね。ついでに二度と俺に声をかけないで欲しい」「それで――結局、居場所は見つかったか?」
 なんだ、そんな簡単な質問か。なあ篠原、身構えていた僕が馬鹿みたいだぜ。君らしくもない。拍子抜けしてしまったよ。君ならもっと手際よく僕を追い詰めて叩き潰すだろうと思っていたのに。
 僕は悠々と笑って、答えた。
「ないぜ、なかったんだぜ、居場所。全部切り捨てちまったわけだしな。笑えるだろう、蔑まれても仕方がないことだろうよ、でもな、そうだとしてもな! 見ろよ、見てみろよ、僕を! どうだ、確かに在るだろう、それは僕も、君だって認めるだろうよ、僕のこの身体を!」
「大宮! そうやって観念上で物事を解決しようたってそうはいかないぜ! お前が納得したところで、お前の居場所はどこにもないんだ、ただお前がそこに生きてる、それだけのことだ! 居場所を作ろうと腐心する事を怠っただけだろうが! そんなもん、正当化したってどうにもならんぜ!」
「違う、違うぜ、篠原。僕は何も生涯ひとりきりで満足しようっていうわけじゃない。別に居場所が無い時期があったって大した問題じゃない。君は居場所を食わないときっと餓死してしまうだろうけどね!  いいか、今から普通のことを言うぜ。焦るのはみっともないんだ。病的になってしまうと、もう目も当てられない。まるで、次々と人を食い物にしていくように見える。僕は単にそういうことをしたくないってだけだ、ただそれだけなんだぜ、篠原!」
「それでも、お前は孤独であり続けるだけだぞ!」
「構うものかよ!」
 僕はすっかり得意気になっていた。篠原はじっとテーブルを見つめて黙った。僕は勝利を確信した。誇らしい気持ちになった。自分だけが何よりも確かなように思えた。店を出ると予想通りにメイドさんは見えなかった。自分の身体を確かめるように、両腕を大きく広げたり、飛び跳ねたりしながら町中を走り回った。気が良くなって、コンビニでビールを買って、人通りの無い通りのマンホールの上に座り込んで、煙草を吸いながら飲んだ。祝杯をあげるような気分だったが、それ以上に煙の形状が愉快でたまらなく、大声をあげて笑った。煙草の火種がジーンズに落ちて、すぐに消えた。次第に嗚咽が漏れて、呻き声をあげながら、僕はひどく惨めな人間だと思い、路上でうずくまった。

(2014/03月執筆、『しあわせはっぴーにゃんこ』所収、同年05月05日東京文学フリーマーケット頒布)

泉こなたの亡骸に愛を込めて

泉こなたの亡骸に愛を込めて

 かつて、らき☆すたがあった。僕はらき☆すたと共に生活をしていた。……こうした不穏な文章を書いている今、僕の心は毒を盛られたかのようにすっかり麻痺してしまっている。僕は今、泉こなたの亡骸を前にして悲痛に泣き喚くこともなく、ただそれが腐敗していくのをじっと眺めているのだ。嘆きや悲痛を超えた何かをもってして、泉こなたの亡骸を無表情に見ている。ああ、彼女はとうに死んでしまったのだと、そうした事実を確認する心情しか動きはしない。それでも決して彼女の擬似的な死に追悼の意を表さないわけにはいかない。かつて生活を共にしていた最愛の友人の死を悼まない人間が一体どこにいようか?
 泉こなたについて、僕の方から少しばかり説明をさせて欲しいと思う。これを読むあなたがもしよければ、ぜひとも話を聞いていって欲しい。こればっかりは僕の単なるわがままだから、あなたに強要することは出来ないのだ。……。……さて、泉こなたは、あなたも御存知の通り、”典型的なオタク”で、背が小さく、ロリ体型で、髪は青色で長く、ぴょこんと大きなアホ毛が立っていて、体育が得意な女子高生だった。夜通しネトゲをしたり、居間のテレビでゲームをしたり、アニメを観たり、コミケに行ったり、メイド喫茶でバイトをしてたり、そういうオタクな女の子だった。あの時はオタクといえばバンダナでリュックでライトセーバーでシャツインで犯罪者予備軍で、そういう疎まれるべき人々だった。今じゃそこらの女子中高生だってボカロを聴くっていうのに、ともかく当時はそういう時代だった。友人の柊かがみもオタクだった。こなたほどではないけど、ラノベは小説だからオタクじゃないとでも言わんばかりの態度で、オタク趣味がバレないように尽力するような、そういう見栄っ張りな女の子だ。まあ、かがみはこなたみたくオタクであることに誇りを持てなかったんだ。世間体を考えると、それも仕方がないことだ。他にも、柊つかさとか、高良みゆきとか、いろいろな友人がいた。趣味で通じ合うわけでもなく、ただ普通の友人として彼女らは仲睦まじかった。オタクの領野を飛躍して、単なる友人同士として関係を構築していた。自分が関与する余地もなく振り分けられるクラス制度の中でうまくやっていけていた。きっとそれは彼女らの人間性のなし得た偉大なる仕事だったのだと僕は思う。そうした日常こそ、なんとも微笑ましい情景だった。彼女らのじゃれ合いを見るだけでスッと心は晴れやかになったし、こなただって彼女らと共にいる間はよく笑っていた。
 ここまで読んだあなたはきっと「何をさも自分がアニメの中の人間であるかのように語っているのだ」と不快感を覚えるかもしれない、自然なことだ。僕がそういう風に書いたからだ。それを踏まえて、僕はここでひとつの重大な告白をしなくてはいけない。それは、僕は彼女らの日常を、ただモニター越しに観ていたに過ぎなかったのだ。けれども、僕は決してらき☆すたと共に生活をしていたという発言を撤回しない。むろんこれは単に『らき☆すた』の視聴が僕の生活の一部になっていたというだけではない。もっと重要な、『らき☆すた』特有の性質について語らなければならない。決して単なる生活に根付いた感覚ではなく、もっと主体的に切実なものがあったと主張しなくてはいけない。それが何よりも泉こなたに対する最も誠実な態度だし、僕はそれを偽って外面を取り繕うだなんて到底考えることは出来ない。もしそのようなことが出来る人間がいたのなら、僕は何よりも軽蔑するし、倫理の一線を踏み越えてまでナイフを心臓に突き立てかねないだろう。ともかく、『らき☆すた』というのはそれほど真摯な出来事だったのだ。
 ところで、あなたは『おたく☆まっしぐら』という美少女アダルトゲームをご存知だろうか。2006年に銀時計というブランドから発売された田中ロミオがシナリオを担当した育成シミュレーションゲームだ。未完成発売、パッチの中途放棄などと様々な問題を抱えている作品だが、主人公の本郷明は泉こなたと共通するような極めて強固なオタク観を有している。オタクであることに誇りを見出し、人生を捧げるべきだと判断し、なりふり構わずに趣味に傾倒する主人公だった。泉こなたとの差異を述べるのであれば、泉こなたは決してその主義を他者に強要することがなかったという点である。事実、そういったオタクであることにある種の気高さを見出すマッチョな主義の風潮は紛れも無く当時も存在していた。同時に、実際にはオタクであることを公言できずにインターネット上でそれらの趣味や欲望を発散させるような屈折した人々も多かった。それは柊かがみであり、僕でもあった。そんな僕が『らき☆すた』を観るのである。自己投影せずにいられるわけがあるまい。いや、正確には自己投影ではなくらき☆すたの世界に同時に生きているかのような錯覚である。僕はそれが錯覚であることを否定しないし、かと言って彼女らと生きていたように切実に感じていたという事実も否定しない。僕は本郷明のように堅牢ではなかった。らき☆すたは、その程度の僕に訪れた一抹の光だった、自己肯定の嵐だった。
 『らき☆すた』には、今日日の日常アニメには無い特有の性質があった。俗に言う「あるある」で、シンクロニシティでもあった。こなた達は頻繁に「あるある」の話題で盛り上がる。それはオタクならではの「あるある」でもあるし、当時に固有の「あるある」でもあった。それを請け負うのは泉こなたであるし、もっと一般的で生活的な「あるある」を担うのは柊つかさだった。更に言えばそれを解説するのが高良みゆきだったし、「あるある」に対して同感したりツッコミを入れるのが柊かがみであり、また同時に僕だった。こなたが涼宮ハルヒのパロディをする度に僕は切実な共感を覚えてけらけらと笑った。同時に、あたかもかがみのようにおいおい!などとツッコミを入れてしまうような心情も抱いた。『らき☆すた』はオタクな少女を主軸にして展開されるアニメだったから、インターネット上での自分は泉こなたで、現実での自分は柊かがみのようだった。あるいは、共感者として彼女らと接しているかのようにも思えた。『らき☆すた』にはこうした同時代的なリアリティが内在していた。モニターはアニメを映す機械ではなく、インターネット上の人間とコミュニケーションを取る為の機械として『らき☆すた』を映していた。当時に限り、僕と泉こなたと柊かがみと柊つかさと高良みゆきはまったく対等で平等な人格として存在していた。
 それでも無情に時間は過ぎる、月並みな言葉だが、しかしやはり時間は過ぎるのだ。けいおんがあって、ゆるゆりがあって、GJ部があって、きんいろモザイクがあって、ゆゆ式があった。僕はそれらにひどく傾倒した。主人公が悪を打ち砕く物語でもなく、ダークヒーローが正義の鉄槌に抗うのでもなく、少年少女が恋をするのでもなく、単に普通の少女たちが普通に暮らすだけの物語に永遠や無限を見出した。それが僕の精神の一切であるようにも感じられた。アニメを観ているだけで世界のあらゆる可能な事態が僕の前に開かれているように感じた。けれども、いくらアニメを観ようとも、時折思い出したかのように僕の中の泉こなたが僕に語りかけてくるのだ。不意に心に影が差し、自らの罪を暴き返し懺悔を要求するように、泉こなたが僕に問いかけてくるのだ、『らき☆すた』の存在について! 僕は深く苦悩した、『らき☆すた』を見捨てて次のアニメの世界に没入してしまっていいのかと、僕の存在の余地のない世界に傾倒していいのかと、泉こなたのことをすっかり忘れてしまっていいのかと、あの共有した世界や時間について、僕はすっかり過ぎ去ってしまったものとして処理をしてしまっていいのかと! その度に僕は強い後悔の念に駆られて『らき☆すた』を讃えたし、人々にふれて回った。もう一度『らき☆すた』を思い出せと言い、あの頃の精神性を取り戻せと叫んだ。それでも、『らき☆すた』は過ぎるのだ、らき☆すたではなく『らき☆すた』として! 過ぎ去ってしまったらき☆すたは『らき☆すた』として作品名を与えられてしまうのだ、まるで写真にタイトルを付けるかのように、過ぎ去ってしまったものとして記憶を定着してしまうように!
 だからこそ僕は言う、年月が過ぎ、『らき☆すた』の同時代性が陳腐化してしまった今だからこそ言うのだ――泉こなた、僕は君を愛していた、と。これが恋心であったか友情であったかは定かではないが、同志であり、尊敬すべき先導者でもあった泉こなたを、僕は愛していたと表現する他にない。『らき☆すた』は過ぎ、「あるある」というある種の強要的な共感を捨て去った日常アニメが台頭していった現在は、もはや僕は美少女らと対等に接することができなくなってしまった。我々はただ美少女らの戯れを眺めるだけの監視者になってしまった。それに満足してしまうような精神を養ってしまった。それでも、決して屈すること無く、かつての王国が存在したという事実を刻むように、僕の、K坂ひえきのTwitterのbioには、誇らしげにこう記されてある。陳腐化に屈せぬ美しい心情が確かに存在していたのを忘れぬように。「――泉こなた! 俺はその名を聞いたことがある! いつだったかまるで思い出せやしないが、確かにほのかな感情だけは感じられるのだ! そして、俺がその名に輝かしい愛をそそぐ限り、君は永劫に消えることはないのだ! 覚えていてくれ! これだけは確かだ!」
 僕はもはや泉こなたという名を愛していたと宣言することしか出来ない。自分の心情に誠実になるのであれば、それ以上のことは決して出来ないのだ。なんせ、らき☆すたは灰となって散り散りになってしまったし、人々はその灰を上手に完成した世界に昇華してしまったのだから。もはや僕の中には『らき☆すた』という名前しか残っていないのだ。
 僕だって散々泣き叫びたいのは山々だし、泉こなたはそれでも対等に生きていると堂々と宣言したいと心の底から思っている。しかし、しかしだ、郷愁がそれを拒むのだ。泉こなたが愛したものを、僕はもはや新鮮に楽しむことはできない。常に郷愁という悪魔が入り込み、活き活きとしていたはずのそれを泉こなたの存在ごと腐敗させるのだ! だから、僕は僕が愛していた泉こなたそのものに愛を注ぐことはもはや不可能なのだ! 僕に出来るのは泉こなたを愛していたと弁明することと、過ぎ去ってしまった泉こなたに観念上の空疎な愛を捧げようと試みることしか出来ないのだ! きっと、泉こなたが今の僕を観たらきっとこう言うだろう――次のアニメでも観ればいいじゃんって。まったくその通りなのだ。それこそが健全で建設的で合理的な判断だ。でも、泉こなた、僕は君の亡骸に語りかけていると理解していながらもこう考えてしまうのだ。泉こなた、君はそれでいいのかと。このまま永遠にオタクたちの過去として、埋没してしまっていいのかと。彼女がそれにどう返答するのか、僕は想像することを拒む。肯定するのであればあまりにも悲劇的であるし、否定したところで泉こなたにも、僕にも決して手出しすることは出来ないのだから。それゆえに僕は彼女の返答をたとえ空想の内部であれ確定しない。ただ、無力にも空疎な救済の祈りを彼女に捧げるばかりである。
 僕は時折、もっと愚直に泉こなたは俺の嫁などと宣言出来るほどの愚かさが欲しいと望む。あるいは、泉こなたのことなどすっかりと忘れてしまって、次々と放映されるアニメを消費するだけの人間でありたかったと切に願ってしまう。しかし、そうはいられなかったのだ。泉こなたはすっかり死んでしまって、今の僕が見ることができるのは泉こなたの無慈悲な亡骸だけだ。静かに横たわって、あるのか無いのかもわからないような棺の中でぼんやりと存在しているかのように思える泉こなたの死骸だけなのだ。僕が関与する余地もなく、死んでしまった泉こなたの死骸なのだ! 僕にはその亡骸がすべての仕事を終えてまったく満足しているようにも見えるし、これから訪れるだったであろう黄金のようなオタクたちの華々しい時代を迎えられないという事実に為す術もなく打ちひしがれているように見える。彼女はすっかり過ぎ去ってしまったのだから――。
 そしてこれを書いている僕は、泉こなたと僕の関係を単なる悲劇的な物語として昇華させてしまおうとしていることに大きな恐怖を覚えている。決してそんなつもりは無いと言い張りたいところではあるが、事実としてそれは悲劇だ。手のつけようがないほどの悲劇なのだ。泉こなたが現在に為す術がないように、僕にだって泉こなたの為に成し得ることは一切ないのだ。泉こなたの亡骸を前にして、友情と敬意を払うことしかできず、何も彼女のためにしてやることはできないだ。――だからこそ僕は泉こなたの亡骸を泣き喚くことなく眺めている。僕は決して君と再び逢えることを願いはしないし、僕の中から忘れ去られてしまうことを願うことだって無い。死骸を眺めるのだ。ただ、腐敗するその亡骸に愛と追悼を込めて。

(2014/03月執筆、『しあわせはっぴーにゃんこ』所収、同年05月05日東京文学フリーマーケット頒布)

2015/09/23

各国のMMD制作者覚書

これは日本国外のMMD制作者を国籍別に分類した、私的な覚書です。
国籍ごとに何かしらの傾向やミームのようなものがあるのではないかという私の推測のもとにまとめてあります。
随時追記予定です。
情報提供や掲載拒否などのご意見がありましたら@hiekiまでご一報ください。Google翻訳を駆使して対応します。日本語、あるいは英語だと嬉しいです。
この作業に、学術的な意義が訪れんことを。

アメリカ

・KyokoSakura232氏 https://www.youtube.com/user/luigi8314/featured

・Belsfir氏 https://www.youtube.com/channel/UC2yOxqT2JYTRN8TK0e9w26Q


アメリカ在住と思われるが特定不能な人物

・Csp499氏 https://www.youtube.com/user/Csp499/featured


ロシア

・Amen氏 https://www.youtube.com/channel/UCTvqIbJBYIsFXvsuTWlrxMg

・WSK Channel氏 https://www.youtube.com/channel/UCqXNkHVTXnMza4hMmvD-t9w/feed


ドイツ

・diaryXpp氏 https://www.youtube.com/user/diaryXpp/about
 DeviantARTより国籍特定。

・Mana Aida氏 https://www.youtube.com/channel/UC0T_cnLKE6tHso7VVhhqHuQ

スウェーデン

・Harpoonneet氏 https://www.youtube.com/user/Harpoonneet/featured


スペイン語圏

・Sanae Kochiya氏 https://www.youtube.com/channel/UCOfSXtnEdSWTDGj0EUBifKg




Memo
スペイン語圏の情報を収集すること。←作業量が多い。
ドイツ語圏のMMDerを捜索すること。←ドイツ人はweb上で英語を使用する事が多いのではないか。特定に時間がかかる。
中国のMMDerの情報をまとめること←膨大過ぎて個人では不可能なのではないか。

海外のMMD動画に関する幾つかの情報と、とんでもない逸材を見つけた話

 表題通りの話をします。
 主にみなさんに知っていただきたいのは後半部の第三章なので、適当に読み飛ばしてもらって構いません。

1. はじまり

ここ一年ほど、僕は定期的に外人が作ったMMD動画を漁るのにハマっている。きっかけとなったのが以下の動画で、MMDと(恐らく)コメディ番組を組み合わせることでこんなにも暴力的でシュールな動画が出来上がるのかと素直に感嘆した。



("Twilight"とは米国で爆発的な人気を誇るステファニー・メイヤー著のティーン向け小説の事を指す)

 こういう作品を作れる人の感性というのは大抵の場合優れているし、その人が属する界隈も大抵優秀な人間が集まっている。というわけで僕は喜々として関連動画をクリックしまくり、ハマった。
 日本のMMDもそれなりに嗜んではいたが、全く異質な方向性が海外MMDには備わっている。

 界隈の雰囲気が伝わるような作品を、作者別に幾つか紹介しておく。
 ここでは下品さも支離滅裂さも稚拙な発想も、アニメキャラという一点においてすべて許される。そういうのを楽しめない人は、悪いことは言わないからこの記事を閉じたほうがいい。


KyokoSakura232氏https://www.youtube.com/user/luigi8314/featured
 近年はまどマギMMDから離れて、ラブライブMADの作成に注力しているようだが、彼の過去の仕事の偉大さは眼を見張るものがある。上記の動画も彼の作品である。
 DeviantARTの情報を見るに、アメリカ在住の学生らしい。Free!のコスプレもやっているようだ。






Csp499氏https://www.youtube.com/user/Csp499/featured
 ボカロ、まどマギ、ガルパン問わずトムとジェリー風のモーションで暴れさせるのが彼の特徴である。よく壁や地面に埋まり、また壁や地面から何かが飛び出てくる。
 過去の作品を見るに彼は恐らくTeam Fortress 2周辺のジャンルに属していたと推測される(また、Gary Mod文化との関連性を指摘する事もできるかもしれない。彼はDeviantARTで「お気に入りのゲームはGmod10だ」と回答している)。
 国籍は不詳、イラストにも堪能のようでDeviantARTでは厚塗りのイラストが多数投稿されており、中々に多才のようだ。







Amen氏(https://www.youtube.com/channel/UCTvqIbJBYIsFXvsuTWlrxMg)
 狂人揃いの海外MMD界隈の中でも異質な狂気を放つロシアの異才である。
 ロシア語というのもあって基本的に文脈が何もかも理解できない。せいぜい、海外ではくまモンがサタンの手先として扱われているのしか分からない。あとは彼がドラッグをキメている事くらいだ。
 クロエ・ルメールが咆哮するメトロ・ゴールドウィン・メイヤーのスタジオロゴパロディが彼のシンボルのようだ。
 



Sanae Kochiya氏(https://www.youtube.com/user/Sanaefroggy/featured)
 彼の作品には生活と密着したアグレッシヴさが潜んでいる。
 彼はMMD界のトゥコ・サラマンカだ。
 国籍は不明(スペイン語圏?)。





Belsfir氏https://www.youtube.com/channel/UC2yOxqT2JYTRN8TK0e9w26Q
 東方とまどマギを中心に、Team Fortress 2を組み込んでMMDで表現する作品が多い。
 アメリカ在住、洋ゲー全般が趣味のようだ。





Harpoonneet氏(https://www.youtube.com/user/Harpoonneet/featured)
 彼の主な得意分野は東方、ハリウッド映画、メタルギア辺りだろう。
 これまで紹介してきた作風とはあまり一致しないが、個人的に気に入っているので紹介しておく。
 東方キャラがサングラスを付けて銃をぶっ放していたら彼の作品であると考えても良いだろう。ISAO式博麗霊夢モデルの顔芸がお気に入りのようだ。
 日本語が堪能で、日本語字幕を付けてニコニコ動画にも投稿しているようだが、再生数はあまり伸びていない様子。我々日本人は有能な人材を見逃しているようだ。
 スウェーデン在住。







 彼らに共通するのは、過剰な効果音と物理法則を無視した挙動とクラブ・ミュージックなのだが、まあそういう話はどうでもいい。
 これらの作風の傾向は、恐らくゲーマーの間で形成されている文脈に起因しているのだろう。

 こうやって記事をまとめている間に、また興味深いロシア人の手によるMMDを発見したので貼っておく。
 初音ミクがロシア語で歌いながら両手を宙にかかげつつ揺れ、その背後でよくわからない古いアニメの映像が流れている。一体彼の人生に何が起こったらこんなものを作れるのだろうか? 大変興味深い現象だ。



2. PAUL SU

そうこうしている内に、僕はPAUL SUなる人物の存在を知ることとなる。
 きっかけはこの動画だった。
  

 中国語(?)のラップに合わせて初音ミクと博麗霊夢がラップバトルをする動画である。
 彼の映像面での技術力は凄まじい。これほどまでに奥行きと実在性を持たせたMMDはそうそうお目にかかれないだろう。この辺の言葉選びはもうフィーリングでしか無いので多くは語らないが、ともかく彼の映像とセンスは群を抜いている。



 彼は台湾人らしいが、台湾ではこのように新年を祝うのだろうか。

 彼は「曲に合わせてキャラクターたちが踊る」というオーソドックスな動画も手掛けている。
 ボーカロイド曲の振り付けを考案し、モーション配布することで多様性を獲得しオーソドックスにまで成り上がったこの踊ってみた系のMMDだが、彼の場合はまったく事情が異なる。
 彼は既存の楽曲のPVをMMDで再現するという手法を採用している。例を挙げておこう。





 なんともまあMMDのキャラクターたちがこういう衣装を着ると見事に娼婦となることか。たまりませんね。
 Hush Hush Hush Hushは「意味もなく背景に置かれた高級車」「DJ」「各作品のキャラクターの混在」「娼婦にしか見えない際どすぎる衣装」あたりの、僕の中ではとても重要な要素が抑えられていて実に良い。
 ちなみに、「高級車」「DJ」「娼婦にしか見えない衣装」で言えば前述のSanae Kochiya氏が秀逸な作品を残している。
 

 品性下劣ここに極まれりといった具合だ。素晴らしい。

 PAUL SU氏の作品を追いかけている内に、僕は中国のMMD界隈の発展に気付くことになる。作品紹介はここでは行わないが、興味がある人はYOUTUBEで「東方偶像鄉」と検索すると良い。

 調べて見るに、中国では中国版ニコニコ動画の「Bili Bili」なる動画サイトがあるらしい。そのBili Biliが主催するMMD杯、「Bili Bili MMD大赛」が大変な盛り上がりを見せている。詳細は分からないが、優勝賞品にはGalaxy S6 edge、Galaxy Gear VR2、2500元(日本円で47,00円くらい)。準優勝にはmini 3Dプリンターと1000元(18,000円くらい)が贈られるという。豪華だ。ニコニコ動画も公式でMMD杯を主催して豪華賞品を用意すれば盛り上がるんじゃないかと思ったが、あれは有志で運営されてるからこそ面白いのであって、公式が噛むとろくな事にならない予感がビシビシとした。

3. スペイン語圏のMMD


ロシア人の作るMMDがトチ狂っているという情報を元に、国籍ごとに何かしらのムーブメントやミームのようなものが発生しているのではないかと思いYOUTUBEを漁っていた所、スペイン語圏では鏡音リンと鏡音レンの純愛MMDが流行している事が分かった。どういう流れでこのような文化が発生したのか僕には全く理解できないが、ともかく、事実として流行している。
 それも見ているだけで気恥ずかしくなっていい年してこんな動画で気恥ずかしくなる自分に気が滅入ってしまう程に甘々な純愛モノで、抱き合ったりキスしたりするモーションもやたらと生々しい。
 幾つか紹介しておこう。











 「RinxLen」という名称のジャンルになっているらしく、「RinxLen mmd」で検索すればもう腐るほどヒットする。探してて気が狂いそうになった。
 ここで挙げた動画はそれぞれ異なる作者によって作られており、いかに文化として定着しているかがよくわかる。一体スペイン語圏の若者の間で何が起こっているのか。これ以上の詮索は直接話を伺うしか無いだろうが、僕はこれ以上の調査は行いたくない。誰か代わりにやってくれ。

 ここでようやく本題に入れるのだが、スペイン語圏のリンxレン動画を漁っている中で、僕はとんでもない逸材を発見してしまい、この記事を書く決心をしたのだ。

YLREVEB 21氏(https://www.youtube.com/channel/UCAIPpqgFAmCyuk7e0QV_qfg)

 (2016/05/08)YLREVEB 21氏はこれまでのyoutubeアカウントを削除して、一文字目を大文字にしたアカウントを再取得して活動している模様。
 かつてのようにセルフアテレコはしていないが、リンxレンMMD動画自体は今でも投稿しているようだ。

 グアテマラ共和国在住の女性。グアテマラ共和国はスペイン語圏らしい。初めて知った。
 彼女の作風を簡潔かつ性格に述べるのなら、「セルフアテレコリンレン純愛MMD」となる。ひどい字面だ。
 彼女はMMDでリンレン(に限らないが)の純愛モノを作りつつ、その上自分でキャラクターの台詞に声を当てている。もちろん、キスシーンもだ。普段からエロゲーをプレイしてるのだし女性が喘ぎ声やキス音を収録する事に驚くなんて馬鹿げた話ではあるが、在野の、それもグアテマラ共和国在住の人間がこれを行っているという事実に僕は仰天した。
 動画を貼っておく。







 所々、文脈がよくわからないシーンや一枚絵が挿入されるが、正直なところ海外MMDでは日常茶飯事なのでそこは問題ではない。重大な問題はもっと別のところにある。

 他にも投稿作品はあるので興味がある人間は調べてみるといい。凄い。

 グアテマラ共和国在住以上の情報は見つからなかったが、グアテマラ共和国に住み、欲望の赴くままに部屋でパソコンをいじってる内にMMD文化やRinxLen文化に触れ、自己投影を重ねつつ喘ぎ声を収録し、MMDで動画を作る女性の自意識は一体どうなっているのだろうか。どう考えてもライブチャットで自慰行為を世界配信する人間よりも複雑な絡まり方をしているのではないか。現実に即して想像しようとするほど僕の脳みそはエラーを起こす。

 最後に、日本人にとってグアテマラ共和国は馴染み薄い国なので、参考までにグアテマラ共和国の美しく雄大な光景を貼っておく。